うつらうつらしているうちに朝を迎え、6時にベッドを出る。昨夜は真っ暗でわからなかったが、窓の外には全面にウインダミア湖がひろがっている。ヨットハーバーには20隻ほどの船が泊めてあった。湖のむこうに山が見えて、山の上の方は霧でかすんでいた。あいにくの雨模様だったが、窓外に広がる景色が湖水地方に来ていることを実感させた。

湖の遊覧船でハワイからの観光客と楽しく交流

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  7時になって朝食会場にむかう。広いレストランのなかで、14席がまとめて並べてあるところに案内される。バイキング形式の食事で、ハムやチーズ、ベーコン、スクランブルエッグなどに加え、煮たトマトや焼いたトマト、豆料理などメニューは豊富だった。パンの種類も多く、フルーツやヨーグルトなども種類が多い。少しずつ食べたが、どれもおいしかった。

 出発までには時間があったので、食後に付近を散策してみた。ヨットハーバーの近くに小さな桟橋があり、先の方に大砲が置いてあった。案内のプレートを見てみると、1807年にこの地方で戦争があったようだった。

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 ホテルと湖を隔てる道路を走る車は思い切りスピードを出しており、歩道を歩くのも怖いくらいだった。雨がだんだん強くなってあわてて引き返したが、ホテルに帰ってきたころには、晴れ間が見えていた。湖水地方の「時間替わり」の天気だ。

 部屋に帰ってテレビをつけたが、電波が弱いのか、どのチャンネルも映りが悪かった。地元のテレビ局が、12年前の「9・11」にかかわるニュースを伝えていた。

 9時40分にホテルを出発し、遊覧船の船着き場までむかう。今日はウィンダミア湖を約30分かけてめぐることとなっている。湖水地方の案内は、地元に住んでいるジョージさんという年配の男性にお願いする。日本語はほとんど話せないので、英語で案内し、添乗員の安さんが通訳することになる。

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 道すがら、ジョージさんは湖水地方の沿革を一通り解説してくれた。1951年に国立公園に指定され、イギリスで15ある国立公園のなかでは最大規模だそうだ。家並みはすべて政府によって管理されていて、公園内の住宅は、政府の許可がなければ、新築はもちろんのこと増築や改築もできないそうだ。

 19世紀半ばに湖水地方に鉄道を通そうとしたらしいが、ワーズワースをはじめ著名人が反対したためできなかったという。観光しか仕事はなく、給料も高くないので地元の若者はここには住めず、金持ちの別荘地になっているのだとジョージさんは話した。

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 バスが到着したボウネスという港には、白鳥やカモメ、鳩などたくさんの鳥がエサを食べに集まっており、とてもにぎやかだった。100人以上は余裕で乗れそうな中型の遊覧船に乗り込み、10時すぎに出航した。天気は良くなったり、雨がぱらついたり不安定だった。山々ではすでに紅葉が始まっていた。

 船室から外に出て景色を眺めていると、欧米人らしい年配の男性がデジカメで写真を撮っていたので、撮りましょうかと声をかけると、逆にどこから来たのかと尋ねられた。男性はハワイから来たそうで、これから14日間かけてイギリス国内をめぐるのだという。熊本に親戚がいて日本にも何回か来たことがあるらしく、片言で日本語を話した。私が妻を紹介したら話が弾み、英会話を勉強中の妻は、船内にいた男性の家族とも英語でいろいろ話ができたと言って喜んだ。

暖炉から煙が出ていた詩人ワーズワースの旧家

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 アンブルサイドという船着き場で船を降り、バスでグラスミアの村にむかう。イギリスを代表する詩人であるワーズワースは、ケンブリッジ大学卒業後に革命下のフランスに渡り、1799年に帰国後、グラスミアに移り住んだ。1802年に結婚して3人の子どもに恵まれた。ワーズワースの家族が暮らした旧家は「ダヴ・コテージ」と名付けられ、今は博物館なども作られて湖水地方の観光名所となっている。ちなみに、ダヴとは鳩のことだ。

 ツアー一行はダヴ・コテージを訪れ、ダイニング、寝室へと見学していく。壁には当時のまま絵が飾ってあった。ドロシーという名の娘の肖像画や、妻のメアリーが70歳の時の絵がかけてあった。2つ並んだ洗面台には歯ブラシが置いてあった。当時は灰と塩で磨いたそうだ。どこの部屋も天井が低く、壁は暖炉のススで真っ黒になっていたそうだが、今は白く塗り替えられている。

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 鳩時計がかけられている階段を上ると、2階はリビングルームとなっていて、真ん中に椅子が置いてあった。壁際のガラスケースにはワーズワースゆかりの品々が展示してある。娘のメアリーと一緒に創作活動に励んでいた頃のものだ。2階の寝室には天蓋(てんがい)付きのダブルベッドが置いてあった。ぜいたくをしているのではなく、当時の家は天井がなかったので、ベッドの上に天蓋が必要だったらしい。

 ワーズワースは73歳で桂冠詩人(けいかんしじん)となった。桂冠詩人とは、政府によって公式に任命された詩人のことだ。海外に出かける機会も多かったようで、その頃のパスポートが部屋に展示されていた。写真などはない時代なので、パスポートには顔や身体の特徴が書かれている。

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 隣の客用の寝室には、当時の紅茶が置かれていた。インドから輸入される紅茶は高級品だったので、ワーズワースは、自分で2回使って、その出がらしを乾燥させて友達に贈ったというエピソードをガイドのジョージさんが話してくれた。子ども部屋に入ると、壁に古新聞が貼られていた。子どもたちがいたずら書きでもしたのだろうか。

 旧家を出ると、裏庭を通ってワーズワースの博物館へと移動する。途中に見晴台のようなところがあり、屋根の上には部屋ごとに暖炉の煙突がつきだしていて、うっすらと煙が出ていた。

大急ぎでビアトリクス・ポターのギャラリーを見学

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 博物館を出ると、ふたたびバスに乗り込み、昼食のレストランへとむかった。午後からは、お目当ての「ピーターラビット」の作者、ビアトリクス・ポターの住んでいたヒルトップを見学にいく。

 キングスアームという街のホテルでの昼食は、サラダ、豚肉のソテー、マッシュポテト、ヨークシャープディング、アップルパイなどが出てきた。ヨークシャープディングは、お腹がふくらむので「ケチの食べ物」と言われているそうだ。アップルパイは甘くなくてまずかった。

 食後は1時間ほどの自由時間があたえられたので、私たちは、近くにあるビアトリクス・ポターのギャラリーを訪ねた。ピーターラビットの原画が見られるのはここだけで、ギャラリーにはたくさんの子どもたちがいた。入口で小さな絵本を渡されて中に入る。

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 ピーターラビットは、ポターが家庭教師をしていた子どもに送った手紙が原型だ。その手紙を送り返してもらい、物語を作り上げたという。最初は文字だけだったが、やがて挿し絵が描かれ、1902年に出版された。子どもが持てるように小さな本にして売り出すと、とても好評を博し、その後も20冊以上のピーターラビットを出版した。今まで、世界で1億5千万部、日本でも1千万部以上が発行されてきた超ベストセラーだ。

寄付への感謝状

 もともと、イギリスの環境保護団体であるナショナルトラストの運動に熱心だったポターは、湖水地方の豊かな自然を守るため、絵本で得た財産をつぎ込み、15の農場と4,000エーカー(16平方キロ)の土地を購入したという。

 ギャラリーのショーウインドウや壁には、いたるところに昔からのピーターラビットの原画が飾られていた。とても一つ一つをゆっくり見る時間はなく、大急ぎで見て回った。一通り見学すると、出口に箱が置いてあり、先ほどもらった本を返却する。その代わりに、ギャラリーの売店で、同じような小さな絵本を買い求めた。

いよいよピーターラビット誕生の地に足を踏み入れる

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 あっという間に自由時間は終わり、バスでヒルトップまでむかう。湖水地方では群を抜いて名所となっており、入場チケットがなかなか入手できないそうで、敬遠するガイドも多いらしい。私たちのツアーは、ジョージさんが事前にチケットをとってくれていて、15時30分からの入場が指定されていた。なお、入場料の一部はナショナルトラストに寄付されることになっている。1895年に設立されたナショナルトラストは、今では300万人の会員がいるそうだ。

 ビアトリクス・ポターは、弁護士の父と紡績商の両親を持つ母の間に1866年に生まれた。裕福な家庭で育ったポターは、子どもの頃からスコットランドや湖水地方などの貸し別荘で過ごしていたという。自然のなかで過ごしたその頃の経験がピーターラビットの物語に反映されている。

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 ヒルトップは、ポターが晩年に出版物の印税で購入した家で、今はナショナルトラストによって管理されている。2階建ての木造の家の中には、小さな部屋がたくさんあった。板張りの床を歩き、一つ一つの部屋を見ていく。当時、ポターが使っていた品々がそのまま残っており、高価そうな人形やドールハウスなど、いかにも金持ちの娘らしい品物も飾られていた。ここにも天蓋付きのベッドが置いてあった。

13 ピーターラビットの絵本は随所に置かれていたが、残念ながら原画などはどこにも見あたらなかった。大急ぎでも、自由行動の時間にギャラリーを訪れたことを良かったとあらためて思った。

 ひろびろとした庭には一面に芝生が敷かれており、その上で、ピーターラビットのようにかわいらしいウサギが何匹も走り回っていた。ポターの家の前でひとしきり写真を撮り、門から外に出ると、牧場にたくさんの羊がいた。顔と足だけが白い独特の姿をしている。雨は降ったりやんだりで、とても寒い。

CIMG3261 今日の観光はこれで終わりで、16時過ぎにヒルトップを後にして、ホテルまで戻る。狭い道ばかりで、ときおりバスが止まって対向車に道を譲らなければならなかった。バス同士のすれ違いは絶対無理な道幅だが、不思議とバスとすれ違うことは一度もなかった。

 道の両側には羊の牧場がひろがっており、みんな顔と足が白い羊が草をもくもくと食べていた。16時半にはホテルに到着してしまい、夕食が19時からだそうで、そんなに余裕があるのなら、もっと自由時間をとってもらいたかったと不満を感じる。とくに、ポターのギャラリーは、原画が見られるのはそこだけだったので、ゆっくりと見学したかった。

09 夕食まで時間がありすぎるので、付近を散策することにした。15分ほど歩くと、アンブルサイドの船着き場にたどり着く。夕方の5時を過ぎて、みやげ物屋はすでに店じまいの支度をしていた。船に乗ればホテルの近くの船着き場に帰れそうだったが、ちょうどいい時間の便はなく、もと来た道を引き返して18時にホテルに着いた。朝と同じように、車が猛スピードで私たちの横をすり抜けていく。途中、自転車に乗った人がいたが、事故にあわないか心配だった。

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 ホテルでの夕食は、鶏のレバーのパテ、サーモンの切り身のソテー、ポテトなどで、デザートには、メレンゲ、生クリーム、ラズベリーが出てきた。少し離れたところにあるバーで飲み物を買って、自分でレストランに持ち込むようになっている。私は、ギネスビールのスタウトを2杯飲んだ。ツアーのみなさんといっしょにゆっくりと食事を楽しみ、21時近くに部屋に戻った。

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ピーターラビットを訪ねて

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