羽田発のJAL659便で奄美大島へとむかう。飛行機は、定刻の12時30分をやや遅れて空港を離陸した。東京の天気は曇りだったが、すでに梅雨に入った奄美・沖縄地方は、天気予報では傘マークが出ていた。前日から奄美大島のお兄さん宅に泊まっている西さんに、メールを入れて天気を訊いてみたが、なしのつぶてだった。

菜食主義の大浜海浜公園のウミガメ

 出発が遅れたこともあって、奄美空港の到着は15時すぎとなった。飛行機を降りると、たっぷりと湿気を含んだむっとする亜熱帯の空気に包まれる。滑走路には雨が降ったあとがあったが、雲のすき間に青空が見えていて、心配したほど天気は悪くないようだ。

 到着ロビーに出ると、涼しげな格好をした西さんが待ってくれていた。お世話になることに感謝して、さっそくレンタカーに乗り込む。これから奄美市街地の中心にあるホテルまでむかうこととなっている。

 途中、笠利町にある『味の郷かさり』という道の駅に立ち寄る。地元でとれた新鮮な野菜とともに、黒砂糖、大島紬のバッグ、黒糖焼酎など特産品が置いてあった。試食のお菓子をあれこれとつまんでいたら、店員の女性が親切に麦茶をすすめてくれた。

大浜海浜公園のカメ ひととおり店内を見て回ったが、やはり大島紬の製品どれも高価で、小さなバッグでも1万円近くの商品もあって、とても手が出そうにない。土産は、東京に帰る日にふたたび立ち寄って買い求めることにして、何も買わずにそそくさと店を出た。

 大浜海浜公園にある海洋展示館を見学する。館内に入ると、正面に大きな水槽があって、大小さまざまな魚が泳いでいた。その中に1メートルほどのコバンザメが数匹いて、水槽の壁にぴったりと頭をくっつけていた。頭に吸盤が付いていて、よく見ると確かに時代劇の小判そっくりだ。

 階段を上がって水槽の上に出ると、大きなウミガメが水面から首を出していた。飼育係の人から餌のレタスをもらってカメにやると、ゆっくりと食べていたが、カメがのろのろしているとコバンザメがレタスをさっと横取りしてしまう。カメもサメも、レタスが好物なのだろうか。

巨大な魚拓 飼育員の男性からすすめられて、奄美大島の自然を紹介したビデオを見せてもらった。サンゴの海や島の人たちの生活などが、20分ほどの美しい映像にまとめられていた。

 ビデオでは「待ち網漁」(マチャミ漁と読むらしい)という昔からの漁法が紹介されていて、仕掛けた網に魚が入るのを老人たちがひたすら待ち続ける。魚が入ると見張り役の老人が「引けー」と叫ぶと、たばこを吸ったりおしゃべりしていたおじいやおばあが、ここぞとばかり駆け寄って網を引く。のんびりした漁は、いかにも南国らしく、ほほえましくもあった。

 さまざまな貝殻の展示コーナーには、巨大な珍しい貝などとともに、小さな貝殻をつなぎ合わせて作った人形が飾られていて、群衆が阿波踊りを踊っているように見える手の込んだ細工は見事だった。

すっぱさが消えるミラクルフルーツにびっくり!

真ん中が西さん 大浜海浜公園から、島の中心部にある奄美市へとむかった。奄美市は、06年3月に名瀬市、大島郡笠利町、住用村が合併して発足し、鹿児島県内の数ある離島のなかでももっとも人口が多い。車の数も多く、港には大きな客船や貨物船が停泊していた。

 市内の道路沿いにはみやげ物屋や食料品店などが並んでおり、島でとれたバナナをそのまま店先に吊して売っている八百屋も見かけた。皮はまだ青かったが、すでに完熟していて食べるととても甘いらしい。

 今日から2泊することになっている『ホテルウエストコート奄美』にチェックインして、10階の部屋に入るととても眺めが良かった。西さんが待ってくれているので、荷物だけ置いてホテルを出る。

 ふたたびレンタカーに乗って、奄美市内の知名瀬にある西さんのお兄さんの家へとむかった。同じ奄美市内とは言え、知名瀬は民家もまばらで雰囲気は市街地とはまったく違っていた。

西さんのお兄さん

 細い道を車にゆられていると、やがて西さんの実兄である一臣さんのお宅に到着した。大きな平屋建ての家だ。東京23区の僻地といわれる江戸川区でも、平屋建てにお目にかかることはまずない。広い家に住めるのがうらやましい限りだ。

 玄関でごあいさつを済ませると、さっそくバナナの収穫に連れて行ってくれた。わたしたちが来るというので、わざわざバナナを取らずに残しておいてくれたそうだ。木にぶら下がっているバナナの房をもぎとり、試しに1本食べてみた。いつも食べている黄色いバナナとは違って実は短くて青いが、甘くておいしかった。何本でも食べられそうだったが、ごちそうを用意していただいているので、味見は1本だけにしておいた。

 バナナとともに、フルーツパパイヤを2つほどいっしょに取ってきた。大きさと形がラグビーボールに似ていて、持つとずっしりと重かった。バナナとパパイヤは、帰り際におみやげにいただき、重いパパイヤを苦労して東京まで持って帰ってきた。

ごちそうを前にして お宅に戻ると、さっそくわたしたちの歓迎の宴となった。食卓には、地元の料理がずらりと並んだ。近所の方からいただいたものもあるそうだが、ほとんどは奥様である清美さん手作りのごちそうだった。

 一臣さんは弟の西さんよりも9歳ほど年上で、お子さんは3人いて、長男は大阪、次男は喜界島に住んでいる。長女はシンガポールの男性と結婚してアメリカで暮らしているそうだ。孫があわせて5人いると言うから、集まればさぞかしにぎやかなことだと思う。

 新鮮な魚の刺身や地元の野菜や島らっきょうの天ぷら、ソーメンチャンプルー、奄美大島産のもずくなどをいただき、一臣さんは奄美産の黒糖焼酎『れんと』を入れたグラスを片手に、おもしろい話をいろいろと聞かせてくれた。

ミラクルフルーツ(wiki) デザートには、さきほど収穫したバナナをはじめ、新鮮な南国のフルーツを味わった。不思議だったのは、その名もまさに「ミラクルフルーツ」という梅干しの種のような赤色の果実だった。ミラクルフルーツをしばらく口に含んでおくと、そのあと食べたものがすべて甘く感じるという。一臣さんは、だまされたと思って試して見ろと言ってすすめた。

 半信半疑でミラクルフルーツを5分ほど口の中で転がし、種を出してすぐに100%のレモン果汁を少しだけなめてみた。そうすると、すっぱいはずのレモン果汁がレモンキャンディーのように甘く感じるのだ。すっぱいレモン果汁を、顔をしかめずにごくりと飲むことができるのはびっくりした。実がまだ青いトマトも、果物を食べているように甘い。一臣さんの話では、ミラクルフルーツの果汁が味覚を狂わせるのだそうで、本当にミラクルな体験だった。

猛毒のハブに出会わないことを祈る

奄美の花 時間も遅くなったので、お宅を失礼することにしたが、一臣さんは西さんの運転する車に同乗して、名瀬の歓楽街まで繰り出した。行きつけのスナックがあって、仲間が飲んでいるらしい。一臣さんは、その仲間に渡すのだと言って、ハブの採取に使う棒を持って車に乗り込んだ。この棒さえあれば、ハブはすぐに捕まえられるのだそうだ。

 鹿児島県のホームページには、ハブは、奄美大島・加計呂麻島・請島・与路島・徳之島に生息し、「毒性、凶暴性、生息密度及び被害発生の点でも世界的に見ても屈指の毒蛇で、現在でも年間40人前後の咬傷者が奄美群島で発生しています」と、恐ろしいことが書かれている。

 緊急医療体制の整った最近では死ぬ人はいなくなったが、それでもハブに咬まれれば死ぬほど痛い思いをすると言う。昔見た「奄美観光ハブセンター」のおどろおどろしたハブの標本や、噛み付かれて腫れ上がったり筋肉が溶けてしまった腕や足の写真を思い出す。

西家のトカゲ(イモリ?) ところが、西さんはハブが出てくることを期待しているようだった。かつて西さんがハブを東京まで持ち帰り、公務員宿舎で放し飼いにしているというウワサが、まことしやかにささやかれたことがある。猛毒のハブが出るとさんざん脅されていた妻は、そんな話を聞くたびに震え上がるのだった。

 ホテルまで送ってもらい、西さんと一臣さんにお礼を言って別れた。はじめてお会いしたにもかかわらず、大歓迎していただき、気楽にお相手いただいたことが、本当にうれしかった。奄美大島での楽しい思い出をつくれたことに、感謝の気持ちでいっぱいだ。

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