5月5日(日) カイロ到着~市内観光

 日本時間で5月4日の16時に成田空港を出発したエジプト航空MS865便は、現地時間で午前6時10分、朝日をうけてカイロ国際空港に着陸した。マニラ、バンコクを経由して、約20時間かかってのエジプト到着だ。

出足から不安だらけのアラブ国への旅

ツタンカーメン 到着後、長い時間待たされてようやくスーツケースが出てきた。いささか古めかしい空港の雰囲気に少しいやな予感がして、大型のスーツケースをていねいに点検してみる。悪いことに予感が的中して、ケースの側面にL字型にひびがはいっているのがはっきりとわかる。ちょっと押せば穴があいてしまいそうだった。あわてて、JTB添乗員の高橋氏にその旨を伝える。同行のみなさんにはお待たせして申し訳なかったが、エジプト航空のカウンターにむかい、弁償の手続きを済ませた。

 ケースはそのまま使うことには不安があったが、それしか方法がないので、ひび割れをふさぐためにガムテープを幾重にも張り付け、とりあえず応急処置をほどこす。実は、スーツケースの損傷は、自宅から成田空港への配送をたのんだ運送業者(ヤ●ト運輸)の不手際が招いたものであることが、帰国後になって判明するのだが、カイロに着いていきなりのトラブルは、私たちをひどく不安にさせた。

 13人のツアーのメンバーは、空港で待っていた50人はゆうに運べそうなデラックスな大型バスに乗り込み、ホテルへむかう。バスには、モハメッドという名のガードマンも同乗する。暑いのにジャケットを着こみ、明らかに自動小銃(軽機関銃)を懐にしのばせていることがわかる。それを見て、不安は増すばかりだった。

 外国人のツアーにガードマンが随行するのは、97年にルクソールで起きたテロリストによる乱射事件以来のことだそうだ。このとき、日本人をふくむ63人が事件の犠牲となった。わが家も、この事件の後しばらく、エジプトを海外旅行の候補地にあげなくなったのだが、すでに忘れかけていたテロの危険が、まざまざと目の前にせまってきて、ちぢみあがる思いだった。

 ツアー一行は、朝8時にカイロ市内の「ル・メリディアン・ピラミッド」ホテルに到着し、時差ボケのままあわただしくホテルのバイキングの朝食を済ませ、その30分後にはふたたびバスに飛び乗る。朝食バイキングにはごちそうも並んでいたが、着陸前に機内食がでたこともあり、さすがにあまり手をのばせなかった。現地の暑さに加え、こうした強行軍が次第に体調を悪くさせていくことになるのだが、あとで考えると、そのときはまったくのんきなものだった。

意外とシンプルだったピラミッド内部

クフ王のピラミッド

 ツアー一行を乗せた大型バスは、カイロ市内観光へとむかった。カイロ市街地をあれこれと訪ねているうち、まさしく忽然という言葉どおりにギザの3大ピラミッドが姿を現した。
 バスを降りて、ここではもっとも大きいクフ王のピラミッドの内部にはいる。入場制限があって、午前・午後各150人の1日限定300人だそうだで、現地ガイドも心配していたが、暑さが身体に応えるこの時期は、世界から訪れる観光客も少ないようで、入場制限の上限にはまだ達しておらず、すんなりと入ることができた。

 ピラミッドにぽっかりとあいた入口を通り抜けて、急な坂、低い天井、狭い階段を、腰をまげながら苦労して上り詰めると、突然、広い部屋に出る。入口からここまで10分ほどかかった。部屋には王様の棺をおいてあり、ミイラが安置されていた「玄室」といわれるところだそうだ。中央に置いてあった石棺はふたが開いており、端が欠けていた。ただそれだけしかなく、とくに感動もない。

 今回のツアーの間、すべての日程にわたってお世話になった現地ガイドのナセル氏から、玄室のなかで説明を受ける。ナセル氏は、流ちょうに日本語を話す男性で、とても明るく愉快な人だ。観光ガイドは、こちらでは報酬もそれなりにある仕事らしく、腕にはさりげなくローレックスが光っていた。

 入口からわずか10分もかからなかった玄室が、わたしたちが見物できる最終地点のようで、端が欠けた石棺以外に何もない部屋を出て、すぐにもと来たせまい道をひきかえす。
 ピラミッドの中は、お化け屋敷のように複雑な迷路になっているものと思い込んでいただけに、世界最大のクフ王のピラミッドも、あっけなく感じてしまう。これだけで、入場料10エジプトポンド(LE)(約200円)に加え、カメラ持ち込み料5LEまで徴収される。エジプト人の平均月収が1万円程度と言うから、見学できたものからすれば法外といえるほど高額だ。

 3つのピラミッドが一望できる「パノラマポイント」や、おなじみの巨大なスフィンクスをバックに写真を撮り、ナセル氏の案内に耳を傾けながら、ギザのピラミッド地域を一巡する。あたりでは、観光客たちを馬とラクダに乗せて、ピラミッドめぐりをさせる商売をしていた。

スフィンクス 炎天下と暑さに疲れて、ラクダに身をまかせる人たちも多いのだろう。ただし、ナセル氏によると、ラクダ使いたちとのトラブルも多いそうだ。人々が多く行きかう場所で、まだ幼い子どもたちが一生懸命にみやげ売りをしていた。子どもたちが観光客に媚びを売りながら、しつこくつきまとう姿を見ると、やや複雑なものを感じざるをえなかった。

 午前の観光はピラミッドの見学だけで終わり、12時を過ぎて、ナイル川のほとりの「シーホースクラブ」というレストランに入る。昼食は、スズキのグリル、イカのフライ、それに、インドのナンに似た「エイシ」と呼ばれるエジプトのパンがつく。焼きめしのようなご飯も出てきた。

 すでに暑さはピークに達していたが、屋根で日差しをさえぎっただけのレストランには驚くことに冷房も入っていない。食べ物にハエがむらがり、それを追い払うのに忙しかったが、猛烈な暑さで喉が渇き、さらに、エジプト航空の機内で禁酒を強いられていた身には、久しぶりに味わうビールが実にうまい! 調子よくガバガバとビールを飲んでいると、この先の道中の長さを考えなさいと妻にとがめられる。それでもやはりうまいものはうまい。

ツタンカーメンの黄金のマスクとご対面

カイロ博物館 午後からはカイロ博物館へむかう。国立カイロ博物館は、フランス人考古学者マリエットによって、150年も前に設立された歴史ある博物館だ。ここには紀元前5千年からのエジプト文明を展示しており、古代エジプト美術のコレクションでは、世界随一を誇る。ただ、「盗人(ぬすっと)博物館」と陰口をたたかれるロンドンの大英博物館に奪われた貴重な品々も多く、エジプト政府はそれらの品々の返還を求めている。

 博物館入場の際に、ボディーチェックを受ける。そういえば、ピラミッドの入口にも銃をかかえた警官がいたし、カイロの市街地にも数十メートルごとに武装した警官が、人々を威嚇するように立っていた。やはりここはテロの危険にさらされるイスラムの国なのだ。その思いは楽しい観光中もつきまとった。「ルクソール事件」の忌まわしい過去が、今でもこのエジプトを縛っている。

 エジプトでは金曜日が休日で、きょうの日曜は平日だと聞いた。しかし、館内は、まるで休日のように人で混んでいた。あちこちで人々がたむろし、話し込んでいる。いくつかの展示品の前では、制服を着た女子中学生らしい子どもたちが、座り込んで一生懸命に解説をノートに書き込んだり、スケッチしたりしている。学校の課外授業のようだ。妻が、試しに何をしているのか彼女たちに英語で尋ねたそうだが、残念ながら、妻には「エデュケーション(教育)」という言葉しか聞き取れなかったらしい。

黄金のマスク お目当てのツタンカーメンの黄金のマスクは、博物館の奥の部屋に展示されていて、ガラスにしっかりと保護されながら、ひときわ美しさを周りに放っていた。ほかの展示物が薄汚れて見え、黄金のマスクだけが荘厳な雰囲気を感じさせるから不思議だ。たしか小学生のころ、日本に大騒ぎして黄金のマスクが来たとき、上野の博物館で家族で行列にならび見たような記憶がかすかにある。そのとき感動したのかどうかも忘れてしまった。

暑さと時差ボケで頭がぼんやりする

 時差ボケに加えて昼食後とあって、このころになると猛烈な睡魔がおそってきて、ナセル氏の案内を聞いているのもおっくうになる。身体がだるく、立っているとふらふらしてきて、目をつぶってしまう。やはり、早朝に現地に到着して、そのまま観光に出かけるツアーはきついことを身をもって知る。

 その後、市内の「モハメッドアリモスク」へむかう。カイロで最も有名なモスクだ。現地の人々はもとより、観光客など多くの人が集まっていていた。偶像崇拝を禁止するイスラム教の寺院らしく、豪華な飾りや絵画、彫刻があるわけでもなく、アラーの神の像はなどはどこにも見あたらない。ナセル氏からモスクの歴史をいろいろガイドしてもらったが、ひたすらに眠たく、そして、ただただ暑い。それだけがつらかった。

 午後5時、疲れ果ててホテルに帰ってくる。冷房がよく効いている高級ホテルにいるとホッとする。少しだけ身体を休めて、ホテルのレストランにでかける。朝と同じバイキング形式だったが、朝食よりも料理のバラエティがひろがり、イスラム教で禁じられている豚肉をのぞいて、鶏肉、魚、マトン、牛肉などで作ったさまざまな料理がとりそろえられていた。どれも、かなりくせのある香辛料を使っているが、食べてみるとおいしい。食べ放題の料理をたっぷりと皿にのせて、片っ端からたいらげた。

 それに、暑い土地で飲むきりっと冷えたビールが最高のごちそだった。ジョッキがすすむ。ごちそうを腹いっぱい味わい、そして、ビールもたくさんいただき、エジプト最初の夜に満足したのだった。しかし、心地よいホテルでの暴飲暴食は、暑さで弱った身体から着実に体力を奪っていったのだった。

次のページにすすむ→