5月7日(火) アスワン~ルクソール

 かすかな腹痛を感じて夜中に目が覚めた。時計の針は午前2時を指していた。まだ夜明けまでは時間がある。ふたたび目を閉じた。しかし、ベットに横になっていたら、下腹を手でわしづかみにされるような、あるいは、きついベルトに締めつけられるような、いままで感じたこともない異様な痛みに変わった。痛みは、その後も私の腹の中で暴れまわった。

油断大敵、災いはある日突然訪れる

ホテルのテラスで

 ベットを飛び起き、あわててトイレに駆け込む。明らかに腹を下していた。しばらく横になっていたが、腹痛がおさまるどころか、トイレとベットを2、3度往復するうち、尾籠な話だが、ほとんど水のような下痢となった。

「やられた!」と思ったときはすでに遅かった。幼い頃から腹をこわしたことはなく、消化器系には絶対的な自信があった、と思っていた。しかし、その根拠がない自信が油断を招いた。エジプトに来てからも、やれ水に気をつけろだの、油に気をつけろだのといったガイドからの注意はさらりと聞き流していたし、食べ過ぎるなと言う妻の忠告もどこ吹く風だった。

 ベットに横たわっても、数分すれば痛みがおそってきた。ぐるぐると内臓が音を立てた。うとうとしていると、まだ薄暗いなかをコーランが遠くから聞こえてきた。6時頃になり、妻が目を覚ました。下痢と腹痛がとまらないと症状を伝えると、妻は顔色を変えた。すぐに薬を飲めと言い、添乗員の高橋氏が良く効く薬を持っているかもしれないから、ただちに電話しろと枕元で騒ぎ立てた。

ホテル前の船着き場

 私が、「たいしたことない。出るものが出てしまえば治る」など言っても、聞いてもらえるはずもなく、朝早くて高橋氏には誠に申し訳なかったが、妻に逆らわず彼の部屋に電話する。高橋さんが部屋まで来てくれて、腹痛と下痢の症状を話して薬をもらった。これが効くといって彼から渡された妙薬は、日本ではおなじみのラッパのマーク「正露丸」だった。匂いがいやで、これまで近づきもしなかった薬だ。我慢して黒い丸薬をぐっと飲みこみ、とりあえずの応急処置は完了した。しかし、この応急処置があだとなるとは思ってもみなかった。

 朝食は食べず、恐る恐るバスに乗ってアスワン空港まで行く。出すものはすべて出したからなのか、腹痛も少しおさまって、車中では回復の兆しも感じていた。だが、アフリカの食あたりを決して甘く見てはいけない。空港の待合所で座っていると、急に気分が悪くなってきた。手足の先がすーっと冷たくなり、頭の中が真っ白になっていく。はじめての感覚だった。大げさではなく、このまま気を失ってしまうのではないかと、本気で怖くなった。

 妻にそのことを告げると、顔色が真っ白だという。妻にささえられておろおろと空港のトイレに入った。すでに出るものは何もなかったが、便座に座ってじっとしていると、なんとか持ちこたえた。ふらつきながらトイレを出て、ツアーの一行とともに搭乗口へとむかうことができた。

ルクソール神殿であえなくダウン

カルナック神殿

 ルクソールの空港に着いてから、バスに乗ってカルナック神殿へむかった。古代エジプト中期から新王朝時代に栄華を誇ったルクソールに建設されたカルナック神殿は、アメン神(古代エジプトの太陽神、エジプトの神々の主とされる)をまつった東西500メートル、南北1500メートルという規模を持つ巨大な神殿だ。

 高さ20メートルを超える柱が134本も林立している「大列柱室」など古代遺跡の迫力には圧倒された。しかし、神殿のあちこちを歩いているときにも、足がふらつき全身がひどく弱っているのがわかる。下半身が妙に頼りない。なんとか体力をふりしぼって神殿を見て回ったが、炎天下の暑さというもう一つの敵も加わって、残念ながら私はあえなく、それ以降のツアー参加の断念を高橋氏に告げた。

石柱の前でバンザイ

 次に予定されていたルクソール神殿の見学は、ひとりだけバスに残って元気なみなさんの帰りを待つことにした。おそらく、たったひとりバスに残った、青白い顔をしたあわれな男性を気遣ってくれたのだろう。運転手は私に一言も声をかけず、愛想笑いさえ見せず、大型バスでルクソールの市内をぐるぐると回ってくれた。冷房のよく効いた快適な車内から見る街並みが、ひとりぼっちの私にとってひどくわびしく思えた。

 妻をはじめツアーの一行は、ルクソール神殿の見学を終えてバスに戻ってきた。
 その後、ルクソール市内の「ノブテルホテル」で昼食をとった。果物とヨーグルトだけを口に入れて食事をすませた。ごちそうはたくさんあっても、食欲が出ない。それに、現地のみなさんにはとっても申し訳ないが、エジプトで料理されたものを口に入れるのが怖かった。そうした不安感は、その後もずっとついて回った。

感染症だ! 発熱にあわてふためく

 土産物屋を中心に観光する午後の日程もすべてキャンセルして、今日の宿泊所となる「ソネスタ・セント・ジョージ」ホテルに一足先に帰って、休ませてもらうことにした。
 またバスに一人だけ乗せてもらい、ふらふらした足つきでホテルに引き上げてきた。なんとかベットに横になると、身体がひどく熱っぽいと感じる。冷房の効いた部屋だからこそ、余計にそう感じるのかもしれない。うとうととして、そのうち眠ってしまったようだった。

 太陽がギラギラと勢いを増す14時すぎに、早々と午後の観光を終えた妻がホテルに帰ってきた。妻はベットで寝ている私のおでこに手をあてた。熱があるとわかると、妻は驚くほどに狼狽した。「悪い感染症にかかった!」と勝手に診断して、高橋氏に電話して急いで来てほしいと伝える。

 エジプトを専門にする高橋氏はさすがに冷静で、現代のエジプトで感染症にかかるなどはまずありえないと、妻の訴えを一蹴した。おそらく風邪であり、それに疲労がかさなって熱が出ているのだと、きわめて冷静かつ科学的に判断し、あわてふためく妻を説得した。そのうえで、冷却剤などを持ってきてくれて、風邪薬まで置いていってくれた。

 その夜には、カクナック宮殿で「音と光のショー」を鑑賞する計画になっていた。ツアーの目玉でもあり、妻には、私のことは心配いらないので、ひとりでショーを楽しんでくるよう強くすすめた。しかし、感染症をまだ疑っていたのか、とても心配で行く気にはならないと言って、結局、2人ともホテルに残った。
 私は申し訳ない思いをしながら、ベッドの中でひたすら熱が下がることを祈った。

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