5月8日(水) 王家の谷へ

 翌日になっても、残念ながら熱は下がらなかった。下痢もとまらず、ラッパのマークの丸薬を飲み続けていた。今日は、「王家の谷」の見学だった。ツタンカーメン王が眠る墓であり、今回のツアーのハイライトだった。

ハイライトの王家の谷の観光を断念

 妻は今回のツアーのなかでも王家の谷の見学をとても楽しみにしていた。だから、少しは無理をしても私も出かけようと思っていた。妻がまた私を心配して、ホテルに残ると言い出すことを案じたのだ。

 そうは言っても、身体がずっしりと重く、そのうえ下腹には痛みもあり、力も入らない。気温は40度近くになるとあって、市内から少し離れた大家の谷でダウンでもしたら、ホテルに帰りようがない。同行のみなさんにも迷惑をかけることにもなりかねない。ずいぶん考えたが、やはり王家の谷のツアーは断念することにした。

 心配する妻には、体調はずいぶんよくなっているので、あくまで念のためホテルに残っていると告げ、心配せずに私の分まで楽しんでくるように伝えた。さいはての地まで来て、妻をひとりで行動させることはこのうえなく残念なことだったが、いま、何より大切なのは、前日あれほど狼狽した妻の心配を取り除くことだった。そのためにも、早く元気になることだと言い聞かせた。

 食欲のない私を残してホテルの朝食に行った妻は、部屋に戻ってくると、日本のコメで作った純和風のおかゆが出ていたことを教えてくれた。たしか、このホテルには日本料理店が入っていて、そこのコックが、日本人観光客へのサービスのため、特別に調理でもしているのだろうと思った。

 妻は、病人にはおかゆが一番なので、後でかならずレストランに行っておかゆを食べるように言い残して、7時前に王家の谷へと出かけていった。食欲がまったくないわけではないが、何か口にするのが怖かった。ふたたび腹痛が激しくならないか、下痢がひどくならないか、その恐怖が先に立ち、食べようとする気がおこらないのだ。

 それでも、「おかゆ」という言葉にはいたく心を動かされた。すでに9時になろうとしていたが、私は意を決してベットからのろのろ抜け出した。地下1階にあるレストランには、遅い朝食を食べる人たちでけっこう混み合っていた。すでに早朝に観光にいった日本人観光客の姿はない。

『ルクソールの休日』を楽しむセレブたち

 そのかわり、いかにも優雅にバカンスを楽しむ背の高い欧米人がたくさんいて、レストランの外のバルコニーにでて、のんびりとジュースなどを飲んでいるのだった。スター俳優か映画監督か、セレブの雰囲気がただよう男性がバルコニーでのんびりと本を読んでいた。強い日の光を避ける色の濃いサングラスが似合っていた。
 こんな人が、このくそ暑いなかを王家の谷に出かけていくとは、とうてい思えなかった。

 何気なく見ていると、美人で背の高い美しい女性が、男性につかつかと歩み寄ってきた。ふたりとも笑顔で会話を交わしている。ボンジュール――たぶんフランス語だろうと勝手に想像する。この場面にはフランス語が似合うからだ。映画の1シーンを見ているようだった。題名は『ルクソールの休日』か。発想が貧しいが、腹を下した男にはそれくらいしか浮かんでこない。

 ルクソールはヨーロッパあたりの金持ちにとってみたら、あくせくと遺跡観光などするところではなく、長~いバカンスをゆったりとすごす保養地なのだ。そんな人たちのゆったりした朝食風景を見ていたら、セレブの仲間入りをした気分になった。それはとんでもない錯覚であり、腹をこわして朝メシが遅くなった日本人が仲間に入れるわけがない。

 さて、妄想をふくらませている間に、おかゆのことをすっかり忘れていた。急いでバイキングの料理が置いてあるテーブルを3回ほど回ったが、結局、どこにもおかゆのかけらも見あたらなかった。やはり、早朝に観光に出かける日本人へのスペシャルメニューなのだろう。

 おかゆがないとわかると、食欲もなくなった。しかたなく、ヨーグルトや果物などをとってきて、ひとりでテーブルで食べた。さっきのセレブの男女がちらりと私のほうを見た。「おい見てみろ、なんでこんなところに日本人がいるんだ?」とフランス語で言われているような気がして、早々に部屋に引き返した。

 ベットに寝そべると、ホテルの窓からカンカン照りの空が見えた。その景色を見ているだけで、どれだけ外の気温があがっているかが容易に想像できる。この空の下で、ツアーの一行はたぶん今ごろ、汗だくになりながら王家の谷を回っているのではないかなどと考えていた。

日本に帰れるのか? 弱気なことばかり考える

 ホテルの部屋は冷房がほどよく効いて快適ではあったが、ベットに突っ伏していると、ひょっとして当分この病気は治らないのではないか、もう日本へは帰れないのではないかなどと弱気なことばかりが次から次へと頭にうかんできた。

 症状が出てからすでに1日半が経っていた。にもかかわらず、腹が痛くなっては下痢をして、気休めに正露丸を飲むことの繰り返しで、病気はいっこうに良くならなかった。
 うとうととしていたところに妻が帰ってきた。14時30分。まだ陽は高い。猛暑の中でのエジプト観光は、朝早く出かけて昼過ぎには帰ってくるのが基本だ。

 さっそくおでこに手を当てると、「熱が下がってる。良かった」と言って子どものように無邪気に喜んだ。おそらく寝ている間に汗をかいて、熱がおさまったのだろう。
 朝食ですでにおかゆがなくなっていたことを伝えると、妻は、食べさせてやれなかったことをしきりと悔やんだ。昼食もまだであり、サンドイッチくらいは食べられそうだと告げると、ホテルの1階に軽食を出す店があるから行ってみようということになった。

 日本で言う野菜サンドやたまごサンドなど、無難な料理を期待していたが、しかし、その店に置いてあったのは、肉や魚のサンドイッチばかりであり、とても怖くて口にできそうになかった。しかたなく、あたたかい紅茶だけ飲んで部屋にひきあげた。

 しばらくベットで寝ていると、ホテル内の店へショッピングに出かけていた妻が帰ってきて、開店時間前の日本料理レストランに行って、コックに雑炊を頼んできたいう。『みやこ』という名前の日本料理店のコックは、実は中国人だったらしいが、妻は日本人だとばかり思いこんで日本語で話しかけたそうだ。

何よりも効いたエジプトのタマゴゾウスイ

 言葉がわからず困惑するコックを相手に、妻は片言の英語と身振り手振りで、夫が腹をこわし、下痢をしていて食べるものがないので、何とか朝食に出されたようなおかゆをつくってもらえないだろうかと頼み込んだのだった。

 中国人コックは、おかゆはできないが、ゾウスイならばどうか、タマゴゾウスイやサケゾウスイならばつくって差し上げることができると答えたのだった。それを聞いて、開店時間と同時にくることを約束して帰ってきたという。そんなやりとりを、妻はうれしそうな顔をして報告した。

 時間になって、ふたりで日本料理レストランへでかけた。でてきた雑炊は、お米こそいわゆる外米を使ってはいたが、よく出汁が効いていて、味付けなどはまさに和風そのもので、空っぽの胃袋のすみずみにまで染み渡るおいしさだった。すべて平らげてお茶を頼むと、ほうじ茶が出てきたのには、ふたりとも心から感激した。
 久しぶりに食べ物らしい食べ物にありついた満足感で、気持ちがぐっと楽になった。元気も出てきたようだった。

 そのまま床につき、翌朝、目が覚めると、腹痛もほぼなくなり、下痢も回復しつつあった。久しぶりの日本食が効いたのはもちろんだが、どうやら、正露丸をやめたのもその一因のようだ。聞くところによると、消毒剤を主体とした正露丸は応急処置としては効き目があるものの、何度も服用をつづけると、刺激が強くて症状を悪化させることもあるらしい。
 とにかく、体調は良くなりつつあった。まだ下腹にはいささか力が入らないが、確実に快復している手応えが感じられた。

次のページにすすむ→