5月9日(木) ルクソール~カイロ

 たまご雑炊をおいしくいただいた翌朝、6時にベッドから出る。気分は悪くない。腹痛もないし、下痢をしそうな感じもない。中国人コックの作ってくれた出汁の効いたたまご雑炊が、魔法のように私の弱った身体を元気づけたのだった。
 さっそく、ふたりで朝食を食べに行く。すでに日本人観光客で早朝のレストランには、はじめからそこにあるのが当然のように、湯気があがる朝粥が置いてあった。その脇には味噌汁まであった。さっそく器に盛りつけていただく。とてもおいしい。

直前に起こったテロ事件で厳戒態勢の空港

腹痛も治ってすっきり

 カイロに戻るだけの今日は少しばかりゆっくりできたので、部屋に帰って休憩する。ベランダにでてルクソールの空気を吸う。いい思い出はなかったが、ナイル川が見えるテラスの椅子に座っていると、吹く風が気持ちいい。
 ゆったりとくつろぐ私の横顔を見た妻が、顔が一回り小さくなったという。確かに、げっそりというほどではないけども、食事をしてきたばかりなのにズボンのベルトが少し緩い。カイロではまたごちそうが待っているようだし、すぐ元通りになってしまうだろう。

 8時にホテルを出発する。2日2晩、いろいろとお世話になったルクソールのホテルともこれでお別れだと思うと、何となく残念な気がする。ただ、またもう一度ここに来たいかどうかを訊かれると、答えはノーに近い。まだそれほど心身ともに立ち直っていない。とにかく今日はひたすらカイロに帰る。

 ルクソール空港に着くと、セキュリティがこれまで以上にきびしく、随所で金属探知器のきびしいチェックが入る。カメラケースやフィルムケースの中まで、重箱のすみをつっつくような手荷物検査の念の入れようは尋常ではない。

 それには理由があった。実は、エジプト航空の飛行機がイスラム原理主義のテロで爆発して、あえなくチュニジアで墜落したらしい。そのニュースは添乗員の高橋氏さえも知らなかった。だれもが神経をとがらせ、チェックが格段にきびしくなるのも納得できた。

 フライトの直前でも、まだしつこくバックの中身を調べられた。靴底に爆弾を抱えて自爆する、気の狂ったテロリストがこの世の中に存在する限り、念入りになりすぎることなどないのは理解できる。

ハン・ハリーリはエジプトの「アメ横」

ガラベイヤを試着

 11時前にカイロ国際空港に到着、その足でハン・ハリーリへむかう。日本で言うと、アメ横のようなところで、あらゆる品物を売っている。もちろん、商品は玉石混淆で、値段はかかげていても、決して信じてはいけない。妻は、いち早く衣料品の店に立ち寄る。店の主人に値引きさせて、30LEで、ガラベーヤというエジプトの民族衣装みたいなものを購入する。
 買ったあとから聞いたが、私がダウンしている間に、ツアーの女性のみなさんと相談して、今夜予定されているナイトクルージングには、みんなでガラベーヤを着て参加しようと話がまとまったそうだ。

 どこの店でも、値段は店主との駆け引き次第だ。そのままで買うなどありえないと、ガイドのニハットが言う。実際、値段の交渉をすると、20LEの品物が、簡単に10や5になったりした。

香辛料の山

 小物を売っているある店で、60LEの値がついている象眼細工の写真立てが目についた。高級そうな感じが気に入っていたが、10LEでどうかと店主にふっかけてみた。相手は40LEまでまけたが、そこから一歩もゆずらなかったので、店から立ち去ろうとした。

 少しはまけるだろうとたかをくくっていだが、店主はライターを取り出し、象眼細工を火であぶり、これは間違いなく本物であり、40LE以下にはできないと主張した。その熱心さに心が動いたが、結局は買わなかった。
 すなおに買ってしまえばよかったものを、言い値で手を打つタイミングをなくしてしまったのだ。関西人の私は、あまりにも値引きにこだわったことに少し後悔しつつ、エジプトのアメ横をあとにした。

どこへ行っても写真を撮ると金を要求

 

ラムセス2世の巨大像

 楽しいショッピングも終えて、午後は、カイロ郊外のメンフィスにあるラムセス2世の巨像や、クフ王のピラミッドなどと比べてややマイナーなサッカラの階段ピラミッド、ダハシュールの赤ピラミッドなどの見学が入っている。

 昼食は、カイロ郊外サッカラの羊料理レストラン「Ezba Resort」に立ち寄る。壁のないオープンなレストランで、天井で回る扇風機があたたかい空気をかき回していた。前庭にはヤギやラクダがつながれていて、いかにも田舎の風景だ。メインで出てきた香辛料の効いた肉は、ヤギの肉だと説明された。まさか庭先で飼っているヤギをつぶしたのではないだろうと、疑いながら口に入れた。身が固くて、スジが残った。病み上がりで、おそるおそる食べ物を口に運ぶ。香辛料が苦手で、あまり多く食べられなかったが、食後に具合が悪くなることもなかった。

 帰り際、レストランの出口に民族衣装を着た7、8歳のかわいい女の子が立っていた。妻がその子にたのんで、ふたりで一緒に写真を写す。そのお礼にと、日本から持ってきた絵はがきを渡したのだが、彼女は、ビニールの袋からそんざいに絵はがきを取り出すと、あからさまに顔をしかめた。おそらく、現金でなかったことが不満だったのだろう。絵はがきならば興味を持ってくれるとおもったのがまちがいだった。見れば、彼女は色の派手な衣装や装飾品で着飾っていて、このあたりにふつうに住む子どもには思えなかった。つまるところ、写真を撮らせて観光客からカネを取ることが、(たぶん大人たちから与えられた)彼女の仕事だったのだろう。

貧富の差が歴然とする農村部

街角の猫

 私たちを乗せたバスは、ひたすら田舎道を走った。地主らしい農家は、どれも呆れるほどに大きな邸宅を構えていた。その一方で、小さくて壊れかけの粗末な掘っ建て小屋が、豪邸に押しつぶされるように点々と建っていた。これらは小作の家のようで、それを見ても両者の貧富の差は一目瞭然だった。

 年間でわずか15ミリしか雨が降らないエジプトの農業はきびしい。作物の育成は、すべて悠久の大地を流れるナイル川の水頼りである。まさに、ナイルの水は命の水なのだった。そのナイル川から引き込んだ支流が、農家のそばを流れており、泥水のようによどんでいた。よく見てみると、川の真ん中に牛の死骸がそのまま放置されていた。

 サッカラにあるジェセル王のピラミッドに到着する。エジプトにあるピラミッドの中では最も古いと言われていて、階段状になったその形から「階段ピラミッド」と呼ばれている。てっぺんまで5段ほどの階段になっていて、下の方はかなり朽ち果てていた。クフ王のピラミッドなどとくらべて、あまり見栄えが良くなかった。

 近くで地元の女性が牛に乗ってぶらぶらしていた。女性がひとりでいるのはめずらしく、観光客がさかんにカメラをむけていたが、そのたび彼女は、スカーフのようなものですばやく顔を隠してしまう。ところが、私たちが近づいていくと、一転して写真を撮ってくれと身振りで示した。

階段ピラミッド

 あやしいと思っていたら、やはり写真をとったあとで彼女はカネを要求してきた。カメラをむける観光客に顔を隠したのは、タダでは写真をとらせないという強い主張だったのだ。ここでは、すべてビジネスなのだ。大人であろうと子どもであろうと、写真を撮るにはカネが必要なのである。迷ったが、その女性に適当な額のチップを渡して、妻を並ばせて写真をとった。

 撮影にカネが必要なことは、その後、メンフィスからダハシュールへ行く途中で立ち寄った「アクナトン・カーペットスクール」でも変わりはなかった。カーペットスクールでは、日本で言えば小学校に入ったくらいから高校生くらいまでの子どもたちが、エジプト伝統の絨毯の作り方を教わっている、いわばカーペットの専門学校である。この街道に沿いには、こうした学校がたくさんある。

 アクナトン・カーペットスクールで、妻が、一生懸命に手を動かす17、8歳くらいの女の子がいて、その姿にいたく感心してそばに近寄っていった。彼女の手先をながめていると、「マネー、マネー」と小声でせびられたらしい。いささか幻滅しつつも、妻はしかたなくお金を渡した。金をせびるという悪い習慣の背景には、日本人をはじめとする外国人観光客がいることを考えると、複雑な思いがした。

高級品ばかりならぶカーペットスクール

カーペットスクールの生徒

 カーペットスクールでは、1階は子どもたちの実習の場になっていたが、2階に上がるとがらっと姿を変え、豪華なカーペットがならんだ即売場になっていた。日本円が使える上、売り場には、日本語の上手な男性の店員が待ち構えていた。50代くらいに見えるその男性は、エジプトのカーペットが世界的にもどれほど高級で、丈夫で長持ちするのかを懇切丁寧に教えてくれた。

 彼は一通り話し終えたら、私たちがどこから来たのかと訊いた。東京と答えたら、すかさず東京のどこかと問うので、江戸川と答えたら、彼はしばし考えて、葛飾区の隣ではないかと言った。聞いてみると、彼は日本の某製造会社のエジプト現地工場の社員をしていたことがあって、研修で日本にしばらくいたことがあるとのことだった。東京では葛飾区に住んでいたことがあるそうだ。あまりにも上手な日本語のわけがわかった。

 その口の上手さにのせられて心は動いたが、さすがに10万も20万(円)もする高価な絨毯には手が出せなかった。しかし、タンスの上にでも置けそうなエジプト綿でできた小さな花瓶敷きを購入した。それでも、6千円と決して安い品物ではなかった。日本で買えば千円くらいで買える。少しくらい値が張っても、記念になればと、ハン・ハリーリで失敗した値切り交渉もせず、一生懸命に日本語を話す男性にも敬意をしめして、気前よく財布から千円札を6枚出したのだった。

 カイロ郊外の観光から帰ってきて、ツアー最後の宿となる「ル・ロイヤル・メリディアン・ナイル・タワー」ホテルにむかう。バスの中では、ガイドのナセル氏がエジプト産のチョコレートを取り出し、お土産に買うように熱心にすすめる。彼の小遣い稼ぎだった。チョコレートは海外旅行みやげの定番だが、暑さに溶けてしまうエジプトでは珍しい。そのチョコは、ナツメヤシが丸ごと一つ入っていて、そのため、形が不揃いで見た目もよくない。かなり高価だったが、珍しさもあり、各方面のおみやげに買い求めることにした。

 5時すぎにホテルに到着後、少し休憩してからいよいよツアー最後の夜の大イベント、ナイル川クルーズに出かける。
 7時30分にナイル川岸に停泊中の遊覧船「スカラベ号」に乗り込む。もちろん、妻をはじめツアーの女性たちは全員、すでに準備していた色とりどりのガラベーヤを着ていた。席についてしばらくしてバイキングの料理を取っていると、いつのまにか船は出発していた。船は、ゲジラ島とローダ島の周りをゆっくりと進む。とは言っても、だれも窓外の景色は見ようとしない。

最高に盛り上がったナイル川のディナークルーズ

ベリーダンサー 食べ物が腹に収まり、いくぶんかワインの酔いが回ってくる頃、ベリーダンスのショーが始まった。日本語にすれば腹踊りだ。いささか幻滅したのは、ダンサーの女性が、かなりの中年太りで、腹をよじって踊ると、たっぷりのぜい肉がぶるんぶるんと音を立てるかのように波打つことだ。

 あとで聞くと、ベリーダンスのダンサーはぜい肉をわざと蓄えているそうで、たしかにがりがりに痩せているよりも、豊満なボディのほうが男性には魅力的(一般的な話です)ではあるし、見栄えがする。

 さすがにプロのダンサーだけあって、30分近く全力で腹をふるわせて踊りっぱなしなのにもかかわらず、いっさい疲れたような顔を見せない。肩で息をするようなこともない。彼女は、客をステージに引っ張り出し、いっしょにベリーダンスを踊らせたり、観光客のテーブルを一つ一つくくまなく回り、客と並んでいる姿をクルーズ船専属のカメラマンに写真に撮らせた。

 ベリーダンスが終わると、これもエジプト名物のスーフィーダンスの男性がくるくると回りながらステージに登場した。スーフィーダンスとは、イスラーム神秘主義(スーフィズム)の信仰者が踊るもので、そもそもはきびしい修行の一つなのだが、観光用に華やかにアレンジされ、このような場所でショーとして披露されている。

 スーフィズムの修行では、ずっと身体を回転させていると、三半規管が麻痺し、無我の境地に達し、恍惚状態になり、神の世界に近づいていくという荒行だそうだ。ステージで踊る男性は、手にはいくつものタンバリンのようなものを持って、間断なく身体を回転させた。目を回さないのがとても不思議だ。色とりどりの鮮やかな衣装を身につけた姿は、きびしい修行にはとても見えないが、これも神のなせる技なのだろうか。

 踊りがすすんでくると、男性は、腰につけていたひろがるスカートのようなものを回りながら取り外した。さらに、そのスカートを手で回しはじめた。日本で言うと、海老一染之助・染太郎の座布団回しのような芸だ。「おめでとうございます」とは言わなかったが、男性はみずからの身体と座布団ならぬスカートを回しをしながら、これまた専属カメラマンとともにまんべんなく各テーブルを訪れていった。終始笑顔で身体を回していたが、見る間に男性の顔から汗が吹き出し、踊りの過酷さが伝わってきた。

「終わりよければすべてよし」

クルーズ船のデッキで

 ステージのショーがひととおり終わると、誕生日とハネムーナーへのお祝いへと続く。あつかましいことに、若い人たちにまじって、私たち夫婦も「ハネムーナー」の一員に入れてもらった。司会の女性に呼び出されて、わがグループから5組が次々とステージにあがり、みんなで輪になって踊り出す。

 このころになると、すっかりワインが効いてきて、すでに恥ずかしさもどっかへふっとんでいる。ガラベーヤの衣装のおかげなのか、妻も大勢の前でおじけることもなく、はしゃぎっぱなしだった。だれもが最後の夜を楽しんでいた。気がついてみれば、昨日までベットでうなっていたのがうそのように、身体の調子が回復していた。料理もワインもおいしかった。

 私たちツアー一行は、翌日午前の便で日本に帰ることとなっている。いろいろと苦しい思いをしたエジプト旅行だったけど、たった一晩だけでも格別に楽しい夜を過ごせ、最後の最後に素敵な思い出を残すことができたのが幸運だった。あれこれと気遣ってくれたツアーのみなさんも、心から感謝したい。

 船が着く間際には、ツアーのみんなで2階のデッキに上がり、「ハネムーナー」へ送られたお祝いのケーキをおいしくいただいた。船上から見上げると、今夜泊まる高層ホテルが、数々のイルミネーションの中でひときわ華やかに輝いていた。(おわり)

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