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8月29日(日)
ハーグ~デルフト~ブルージュ

 ゆっくりと眠ろうと思っても、やはり時差ボケで夜中に目が覚めてしまい、そのあとはうつらうつらするだけで夜が明けた。ホテルで朝食をとって、今日のツアーに出発する。バスに乗ってハーグ市内を観光する。気温は19度、日本にくらべればハーグの朝は肌寒く感じる。

●雅子さん(現皇后)のお父さんがつとめる裁判所

ハーグにて 国際司法裁判所のあるハーグには、日本をはじめ、各国の大使館が一堂に会している。オランダ女王の執務室もここにある。首都はアムステルダムだが、ハーグは行政の中心地でもあり、保健省や教育省、財務省などの大きな建物がバスの窓から見えた。日本でいえば、霞が関のようなところだ。

 オランダ国内のガイドを担当するのは、アムステルダム在住の備(そなえ)厚子さんで、奄美大島の生まれで、兵庫県の西宮に住んでいたと自己紹介する。そんな育ちを感じさせないほど、わかりやすい標準語で淡々と、ときには情熱を込めてガイドしてくれる。第二の故郷としてオランダをこよなく愛しているのだろう。

 オランダ人は、ヨーロッパでももっとも平均身長が高いらしい。そして、みんな自転車好きで、道路には歩道と車道の間にかならず自転車専用道路が設置されている。背が高く足も長いオランダ人がさっそうと自転車に乗る姿が、オランダの風景によく似合っていた。

国際裁判所の前で 専用道路なので、日本のように人にぶつかりそうになることはまずなく、自転車はみんなスピードを出して通り過ぎていく。慣れない外国人は周りをよく確かめず、自転車専用道路に入り込むことがあるらしく、備さんは、オランダでは自動車よりも自転車に気をつけてくださいと注意を促した。実際、何度かあぶなく自転車にひかれそうになった。

 国際司法裁判所を訪ねる。もちろん観光客が入らせてもらえるような場所ではない。頑丈な扉に閉ざされた門前で写真を撮った。ここには現在、1993年に皇太子浩宮と結婚した小和田雅子さんの御父上であり、元外交官で国際法学者の小和田恆(さとし)氏が、15人いる裁判官の一人として常駐しており、妻と愛犬といっしょにハーグでおだやかな日々を送っている。ちなみに、小和田氏は09年から3年間にわたって第22代の国際司法裁判所所長をつとめることとなる。

●「夜警」を描いた巨大なデルフト焼きにビックリ

デルフトの陶器工場 バスはハーグから近郊のデルフトへ走る。10時に陶磁器工場に到着する。「デルフト・ブルー」で世界的に有名なデルフト焼きは、日本の伊万里焼がヨーロッパの王侯貴族にもてはやされたとき、これを徹底的に模倣し、血のにじむような努力と試行錯誤の結果、デルフトの職人たちが完成させたと聞く。訪れた『ロイヤル・デルフト』は、17世紀に創業した老舗で、現在でもオランダ王室の御用達の工場である。

 工場には、数々の陶器とともに、いくつもの陶板をタイルのように組み合わせて、レンブラントの名作『夜警』を描いた高さ・幅ともに5メートルはある巨大な作品が展示してあった。備さんによれば、この作品はすでに売約済みらしいが、買い手が誰であるのか、はたまた値段はいくらなのか、いっさい秘密にされている。

「夜警」の巨大な陶器 条件が違うもとで焼かれた陶板を、一つ一つ組み合わせていくのは大変な作業だっただろう。とりわけ、デルフト・ブルーの繊細な色合いを出すには細心の注意が必要だったとのことで、何人もの職人が力を合わせてこれだけのものをつくり出した苦労にはいかほどだったか。その苦労を考えると、値段をあれこれ詮索するのは野暮というものだ。

 デルフトの陶磁器は世界的にも有名で、ギフトショップで即売していた商品は、小さな皿でもおいそれと手が出ない値札がついていた。「まねる」と「学ぶ」は同意語だというが、日本の陶磁器をひたすらまねつづけ、日本の文化さえも学び、そのことで到達したデルフト焼きの美しさが輝いていた。今もその伝統を受け継いでいるオランダの職人のみなさんに敬意を表しつつ、ささやかなわが家のおみやげに、風車の横でキスをする子どもが立っている小さな置物を買い求めて、工場を後にした。

●「真珠の耳飾りの少女」に思わず引き込まれる

マウリッツハイス美術館 ハーグにあるマウリッツハイス王立美術館にバスを走らせる。休日は開館が11時なので、着いたときはちょうどいい時間になった。オランダ絵画を代表するフェルメールやレンブラントの名作が並ぶ美術館を、約1時間かけて大急ぎで見学する。この美術館のハイライトは、何と言ってもフェルメールの『真珠の耳飾の少女』である。『青いターバンの少女』とも呼ばれる作品は、1665年頃に描かれたものだ。

 フェルメールブルーと言われる鮮やかな青色のターバンが何より目を引いたが、真珠の耳飾りとふり向く少女の目の純白の輝きこそ、フェルメールの真骨頂であり、たぐいまれな才能を示している。もちろんこれは、ガイドの備さんからの受け売りだ。絵をじっと見ていると少女の目に引き込まれそうになるほど、備さんのガイドはわかりやすく、絵心のまったくない私に感動を与えた。

真珠の耳飾りの少女 ここの美術館には、フェルメールブルーが美しい『デルフト眺望』というもう一つの名作があるが、『牛乳を注ぐ女』や『窓辺で手紙を読む女』などの作品には、アムステルダムで直にお目にかかれるはずだ。フェルメールが残した作品は数少なく、どれも貴重なもので、それらを一気に見られるのはやはりオランダに来なければできないことだ。ちなみに、『真珠の耳飾りの少女』は、2000年に大阪市美術館で展示されている。

 レンブラントの作品では、1632年に制作された『テュルプ博士の解剖学講義』の備さんの解説がおもしろかった。左腕が切り開かれた死体を、何人もの人がこわごわとながめている。中には熱心にメモをとっている人もいる。ただ、人々は一様にあごひげを生やしていたり、頭が薄かったりして、どう見ても医学生には見えない。

 備さんいわく、当時は、絵画は芸術と言うよりも、写真がなかった時代の「記念撮影」みたいな意味合いを持ったものらしく、依頼者がお金を出し合って、自分の顔を描いてもらったそうだ。つまりこの作品にでてくる「医学生」も、お金と引きかえに描いてもらった肖像画であり、いうなれば町内会の「集合写真」のようなものらしい。そんなことを備さんから聞くと、名画も急に煤けて見えたのは私だけだっただろうか。

テュルプ博士の解剖学講義 3階建てのこぢんまりとした美術館を出ると、その並びに内閣と総理府の建物があり、写真を撮りながら中庭を通り抜けて、表通りへ出る。何かのイベントがあったらしく、中庭には、煉瓦造りの古い建物とは似合わない大きなテントがおいてあった。

 オランダは、煉瓦の街であり、道路まで煉瓦で敷き詰めてあり、そのほどよい柔らかさが、人の足や膝にもやさしくて、疲れないらしい。それとは逆に、ベルギーは建物は石造りで、道路も石畳なのだそうだ。その違いを、備さんはぜひ足で感じてほしいと言っていた。オランダの歴史やオランダ人の性格を語る彼女のガイドからは、心底オランダを愛する気持ちが伝わってきた。

●おとぎ話のような景色がひろがるキンデルダイク

ハーグの街角 昼食は、ハーグのレストランで魚と肉の料理をいただく。広い庭に羊や牛が飼われている不思議なレストランだ。日本でもおなじみのビール「カールスバーグ」を飲む。原産地はオランダではなく、デンマーク発祥のビールだ。

 料理の始まりは白身のマスを焼いて上にホワイトソースをかけたもので、その次に豚肉の小さな固まりを焼いたものが出てくる。特別の調味料もなく、いたってシンプルな料理だった。人参とグリンピースを一回り小さくしたような豆、それとフライドポテトが山のように付いていた。デザートの桃のアイスクリームがとても甘かった。

キンデルダイク ふたたびバスに乗り、キンデルダイクへ。世界遺産ともなっている風車群だが、風車は役目を終えて、今はほとんど使われていないそうだ。キンデルダイクとは、「堤防の子ども」という意味で、ガイドの備さんがそのいわれを教えてくれたのだが、すぐに忘れてしまった。たしか、大水害になったときに、子どもが川にさらわれて、堤防の上で九死に一生を得たという話だったと思う。

 バスが近くに来ると、テレビや写真で見たおとぎ話のような風車の世界が、目の前にひろがっていた。風車は全部で19個あって、すべてを見て回ることは不可能だ。車窓からは、遠くにある風車までが見えた。このあたりは、チューリップが咲く初夏の頃は、ほとんど毎日、霧に覆われているらしく、風車群がすべて見えるのは珍しいと福永さんが言う。

風車小屋の前で 1つだけ有料で開放されている風車の建物の内部に入り、狭くて急なはしご段を苦労してのぼる。降りるときは、みんな足がすくんでしまい、はしごの前に行列ができる。1階には、生活する場所があり、やかんやナベ、かまどなどをそのままにして展示してあり、台所の横には狭いベットが住んでいた当時のままの姿で置いてあった。

 いくつかの風車を目を凝らして見てみると、建物の窓に白いレースのカーテンがおおわれていて、まだ人が暮らしている気配がった。建物のそばには、犬小屋のような大きさのミニ風車まであった。庭とおぼしき敷地もきれいにしており、生活が感じられた。はたして、風車の暮らしはどのようなものなのだろうか。いまもあの狭いベットで寝起きしているのだろうか。引き返す道沿いにあった売店で、風車が写った絵はがきを買った。

●迷いながらも無事に城壁都市ブルージュに到着

ブルージュ バスはやがて国境を越え、ベルギーに入国する。ベルギーの総面積は約3万km2、約1,100万人の人口のおよそ6割がオランダ語を話す。立憲君主制の国で、国王が憲法にもとづいて立法権、行政権を行使する。もちろん、国民の代表である連邦議会が政治をになっているところは日本と変わらない。

 高速道路を通って、一路ブルージュへむかう。だが、運転手が何度も道をまちがえ、近所の人に道を訊ねながら、ようやくブルージュに到着する。「ブルージュ」はフランス語で、オランダ語にすれば「ブルッヘ」となり、橋という意味を持つ。ブルージュ(ブルッヘ)の旧市街地がユネスコの世界遺産に登録されたのは2000年のことだ。

ホテルの前で 街の名前通りに旧市街に入るには橋を渡らなければならない。普段は上がっている跳ね橋を渡り、今夜の宿となる「ド・メディチホテル」に無事たどり着いたときは夜になっていた。さっそく夕食のホテル内レストランにいく。出てきた料理は小エビのクリケットで、あっさりした夕食だった。

 クリケットは、日本で言えばエビクリームコロッケであり、形も俵型で、思わずとんかつソースをかけたくなる。フォークとナイフで上品にコロッケをゆっくり味わったが、ところが、クリケットはオードブルにあたるらしく、その後、こってりしたビーフシチュー風のメインディッシュがテーブルに並んだ。煮込まれた牛肉の上にリンゴ半分くらい薄く切ったものがのっていた。牛肉はビールで煮てあるそうだ。さすがビールの国である。

夕暮れの街角 飲んだのは、ドラフトと呼ぶ普通の生ビールだった。”Duvel” というベルギービールもすすめられたが、英語にすれば “Devel” つまり「悪魔」という意味であり、いかにも怪しい名前を聞いて遠慮した。妻は、女性向きだという「チェリー」ビールを半分ほど飲む。文字通り、チェリーからつくった赤い色の発泡酒だった。

 9時頃までレストランにいた後、ホテルの外に出て、ようやく暗くなりかけた旧市街地の落ち着いた街並みをぶらりと歩いてみた。どこもひっそりしていて、人影は見えなかった。地理もわからず、少し心細くなったので、わずか数百メートル歩いただけでホテルに引き返す。部屋に帰ってテレビをつけると、アテネオリンピックの開会式を生中継していた。

8月30日 ブルージュ市内観光へ→)

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オランダ・ベルギー旅行記

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