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9月1日(水)
ブリュッセル~アントワープ

 ブリュッセル2日目の午前中は自由行動となった。ホテルは、街の中心部からは少しはずれているが、近くにはルイヴィトン、エルメスなどブランドショップが軒を連ねている。最高裁判所もすぐ近くにある。1時までにホテルに戻ってくればいいので、とりあえずチェックアウトを済まし、9時前にホテルを出た。

●音楽は万国共通~ブリュッセルの楽器博物館

国会議事堂

 はじめにブリュッセル最高裁判所の前まで行って写真を撮る。総面積2万6千m2、19世紀最大の建築物と言われる最高裁判所は、堂々とした姿を誇っていた。裁判所の前にある停留所からトラムに乗って楽器博物館にむかう。ブリュッセルには3本の地下鉄が通っているが、縦横にはりめぐらされている路面電車が便利で乗りやすい。乗ったのはたったの2区間だけで、あっという間に目的地に到着する。歩いても15分くらいという距離だった。

 楽器博物館には、世界中から1,200点もの楽器が展示されており、歴史も解説している。セキュリティのために、上着や大きめの荷物などの持ち込みは制限されていて、入口脇のクロークに預けさせられた。他の美術館も同じだったが、テロ対策のために最近になってきびしくなったらしい。

ブリュッセルの街角 入る際には、ひとりひとりに無料でヘッドホンが配られる。これはいわゆるヘッドホンガイドではなく、マークが付いた楽器の前に立つと、ヘッドホンからその楽器の音色が聞こえてくる仕掛けらしく、係員の女性が使用方法を英語で丁寧にゆっくりと教えてくれた。最後は、「アーユー、アンダースタンド?」と背の高い女性に念を押され、あやふやに「イエス」と返事してようやく展示室への入室を許された。

 何階にも分かれた展示室には、バイオリンやピアノ、トランペットなどの楽器と、ピアノにはチェンパロなど、それらの原型になった昔の楽器、さらには、アフリカ原住民の打楽器、東洋の民族楽器から、シンセサイザーなど現代の電子楽器まで、ありとあらゆる種類のものがショーウインドウに飾ってあった。

楽器博物館 テルミンという昔懐かしい電子楽器が置いてあり、まだ中学生の頃、『ラジオの製作』という月刊誌に、回路図が出ていたのを思い出した。アルミのシャーシに工具で穴を開けて、真空管を使うといういかめしい工作だったが、中学生のわたしは当時の5球スーパーなどとともにわくわくして製作記事を読んだ覚えがある。

 どの楽器も、係員の女性に教えられたとおり、楽器の前に立てばヘッドホンから音が聞こえてきた。どんな仕掛けになっているのかわからないが、聞こえる音色からは、楽しさやもの悲しさなどが心に伝わってきて、音楽だけは、国境や民族、言語を超えて、万国共通なのだと思わせる。

 千を超える楽器がありながらも、わが日本からは、尺八、三味線、琴の3点のみ出展されていた。ベルギーの人には、日本にはそれくらいの楽器しかないのだと思われていることが、ちょっと悲しくなってきた。ならば、他に何があるのかと訊かれても、笙(しょう)とか篳篥(ひちりき)くらいの和楽器の名前しか思い浮かばず、しかも、それらの音色や形すらさだかではない。そんな情けない思いを残して、ブリュッセルの楽器博物館を後にした。

●ヨーロッパの巨匠ルーベンスの大豪邸を拝見

カフェでゆったり 昼食までには、まだだいぶ時間があったので、「カフェ・フィレ」というビアカフェで休憩する。ブルージュで飲めなかった「シメイ」をためらいなく注文した。アルコール度数は7%とビールにしては強めで、黒ビールと言うよりも、ハーフ&ハーフの色をしている。カフェからは教会が見えた。天気も良く、午前中から飲むアルコールはよく回って開放された気分になる。

 休憩後、高級ブランド『ルイヴィトン』の店に入ってみた。おなじみのLVのマークがついた値段の高いバッグがずらりと並んでいて、さすがに尻込みした。妻はそのなかから、片隅にあった黄色のキーケースを記念品代わりに買い求めた。ブランド好きの客にとっては、こんなところはたまらんのだろうなと思いながら店内をぶらぶらした。

ブリュッセルの風景

 店を出る際、女性店員に図々しく昼食のおいしい店を訊ね、教えてもらった店でサンドイッチを食べる。ハムとチーズをフランスパンに挟んだものだ。ここでも、シメイを飲む。出てきたのは、さっきよりもさらに度数の強い9%のものだった。ちなみに、ベルギーのビールには、その銘柄にあったグラスが用意されていて、シメイのグラスは太めのワイングラスのような形をしている。

 食事をそそくさとすませ、何とか集合時間に遅れずホテルへ引き返し、ひと息つく暇もなく、1時すぎにホテルを出発する。バスは、アントワープの街にむかって快走する。ブリュッセルからは約45キロの道のりだ。1時間もかからないうちにアントワープ市内に入る。

 市立図書館の前にバスを停めて、徒歩でルーベンスの家へ向かう。17世紀を代表するフランドル絵画の巨匠で、生涯1,500点もの作品を残している。アントワープで画家として修業を積み、イタリアで8年間を過ごし、ダビンチやミケランジェロの技法を習い、宮廷画家としての不動の地位を獲得した。ヨーロッパ各国の王室からの注文をこなし、巨万の富を得て、アントワープに大豪邸を構えた。

ルーベンス邸の中庭 その豪邸は、いまは入場料を払って見学でき、家の前には絵はがきや書籍などの売り場までつくられている。家の中は、応接室にはじまり、居間、寝室、台所などとつづく。各部屋とも、ごてごてした飾りなどはなく、きわめてシンプルではあるが、壁一面が革張りになっているなど、さりげなくお金をかけている。

 寝室のベットは意外に小さく、当時のベルギー男性の平均身長が160センチくらいというが、それでも窮屈なくらいの大きさだ。訊くと、昔の人は背中の下にソファーを入れて身体を折って寝るのが習慣だったそうで、ルーベンスもこの窮屈なベッドであれこれと夢を見たのだろうか。

ルーベンスの家で これらの生活空間とは離れて、巨大なアトリエが庭を隔てて建っている。天井が高く、2階のテラスからアトリエが一望でき、注文を受けた客を立たせて作品の進行状況を見せたらしい。いくら巨匠と言われても、ルーベンスひとりで1,500枚もの絵が描けるはずはなく、現代の漫画家のように何人ものアシスタントがいて、大半はアシスタントの弟子に描かせたのだろう。いうなればここは、「ルーベンスプロダクション」の制作拠点というわけだ。

 アトリエには、「アダムとイブ」と「受胎告知」の絵が飾ってあったが、前者が静的であることにくらべ、後者は、筋肉が浮き出て、躍動感あふれる作品となっており、対照的だった。これらの絵は、イタリアのフィレンツェにある隆々たる筋肉のダビデ像や、バチカンの壁画「最後の審判」など、ミケランジェロの影響を強く受けているのだと、松本さんがじっくりと解説してくれた。

●気分はほとんど「フランダースの犬」のネロ少年

アントワープ大聖堂 その後に訪ねたアントワープ聖母大聖堂の祭壇画「キリスト昇架」「キリスト降架」も、死の直前にありながらも、筋肉隆々のイエス・キリストが描かれたルーベンスの代表作である。ちなみに、「フランダースの犬」のネロ少年は、ルーベンスの絵画にあこがれ、はるばるアントワープまでやってくる。「キリスト降架」を見て満足し、この絵の前で愛犬パトラッシュとともに安らかな死をむかえるというとても悲しい物語だ。

 テレビアニメ「フランダースの犬」が大ヒットしてから、日本からも観光客が大挙してアントワープ聖母大聖堂まで押しかけるようになったらしいが、現地の人には、そんな悲しい物語があることすら、ほとんど知られていない。ガイドの松本さんによれば、原作ではネロ少年をいじめるベルギー人がひどく意地悪く描かれているので、地元の人たちから敬遠されたのだろうということだった。

キリストの降架 さて、大聖堂をすすんでいくと、「キリスト降架」は奥にひっそりと飾られていた。磔(はりつけ)の刑にあい、すでに息絶えたキリストを人々が十字架から降ろしているところを描いた絵であるが、ぐったりと力を失い、血の気が失せたイエスの全身は、白く神々しく輝いている。そのイエスを、ヨハネや聖母マリアをはじめたくさんの人が悲しい表情で取り囲んでいる。

 松本さんのすぐれた解説を通して、ルーベンスによる2つの名画の魅力がすみずみにまで理解できた。とくに、ネロ少年とパトラッシュまで登場させ、静かに息を引き取っていくシーンの語りは感動もので、ツアー一行のなかには涙する人もいた。ほの暗い礼拝堂のなかで、処刑にあったキリストは神々しく光をたたえ、鳥肌が立つほどの圧倒的な迫力でわたしたちにせまってきたのだった。

アントワープ大聖堂 感動もさめやらぬまま聖母大聖堂をあとにして、約1時間ほどの自由行動でアントワープの街をぶらぶらと歩く。教えてもらったスーパーまで行ってエビアンを買ったが、レジの店員がやたらとのんびり仕事をしていて、わずか3本のミネラルウォーターのために、10分間ほど待たされた。地元の人にとってみれば、これが当たり前なのか、いらいらしている客は一人もいない。

 やっと水を手に入れて、松本さんが強く推奨した街角の店でワッフルをテイクアウトして食べた。ブリュッセルのものとは違って、ふわふわしていて、確かにおいしかった。明日からはふたたびオランダにもどるので、ベルギーのガイドを受け持った松本さんとはここでお別れとなる。ルーベンス、ブリューゲル、ファンエイクなどベルギーで目にした数々の絵画の解説を聞くたびに感動し、一つ一つが心に残った。この人のガイドがなければ、これらの絵をひと目見ただけで通り過ぎていただろう。別れ際にそのことを告げ、あらためてお礼の言葉をのべた。

●アントワープのレストランでバスが消えた!

ホテルの前で アントワープの郊外にある「コリンシア・アントワープ」ホテルには、17時半に到着した。途中、バスの車窓から通りを見ると、黒い服に黒い山高帽、黒いネクタイという黒ずくめの格好にヒゲを伸ばした、異様に見える姿の男性を何人も見かけた。アントワープに約2万人が住むというユダヤ人だ。

 彼らは古くからの習慣を変えず、今でも、周囲とは一線を画して生活しているとのことだった。シェイクスピアの「ベニスの商人」のごとく商売上手なユダヤ人は、世界中のダイヤモンド原石の8割が集まるとされる、「ダイヤモンドの街」アントワープでは宝石商などを営み、経済界の有力者も多数いるそうだ。確かに、ベンツなど高級車を乗り回しているユダヤ人が多く見られた。

 ホテルで一服して、今夜は少し高級なレストランに行くこととなっていたので、スーツケースに入れて持ってきたジャケットを着る。妻は、他の女性たちがどんな服装で来るのかを心配し、どの服を着ればいいのかと、部屋を出る直前まで迷っていた。ところが、全員が集合してみると、特段、華やかな服装をしている人は一人もなく、やはり、旅慣れた人らしく、思い思いのラフな格好をしていた。

このバスが消えた! 6時から市内中心部のレストランでの会食となる。6階のレストランの窓からは、アントワープの中央駅の巨大な駅舎が見えていた。まだ西日が向かいの高層ビルの窓に反射してまぶしい。はじめに前菜でパスタが出てくる。どこが「前菜」なのかと思うほどスパゲティの量がたっぷりだ。メインは金目鯛のソテー。3つの切り身の下には、キャベツとおなじみマッシュポテトが敷いてある。予定のメニューはヒラメだったそうだが、今日はヒラメが不漁だったのだろう。はじめは白ビール、次に白ワインに変えて、おいしい料理に舌鼓を打つ。

 8時すぎにレストランを出るが、ここでちょっとしたハプニングがあった。レストランのそばの道路ぎわに停めたバスが、どこにも見あたらないのである。福永さんが運転手のトニーと連絡をとろうとしたが、携帯電話はつながらなかった。結局、5台のタクシーに分乗して帰ることになった。

アントワープの街角

 わたしたち夫婦は福永さんと同乗した。乗り込んだタクシーは若い女性のドライバーで、話好きのとても陽気な人だった。彼女は、わたしたちが日本人らしいと見ると、どこからきたのか、これからどこへいくのかなどと、英語でいろいろ質問してきた。福永さんがその質問に一つ一つ答えると、ベルギーとオランダをわずか9日間で回るのか、あなたたちにはたったそれだけの休暇しかないのかなどびっくりしていた。

 ベルギーの公用語はオランダ語かフランス語なので、日常的には英語は話さないが、こうやって英語を使ってあれこれと会話はできる。タクシーの彼女と福永さんとのやりとりを見て、英語ができないわたしにはうらやましくもあり、日本に帰ってから本気で英会話を勉強しようと、タクシーに揺られながら密かに心に決めていた。

 全員が道に迷わず無事にホテルに到着し、ハプニングは笑い話ですんだ。その後、運転手のトニーとは連絡がとれたそうで、トニーが釈明するには、バスを長時間駐車しておく場所がなく、アントワープの市内をずっと走り回っていて、元のところにもどって来たのはわたしたちが帰ったあとだったらしい。福永さんの携帯に電話してみたがつながらず、しかたないので帰ってきたそうだ。不可解な点は残るが、とりあえず何もなかったのでみんなほっとした。

9月2日 ふたたびアムステルダムへ →

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オランダ・ベルギー旅行記

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