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9月3日(金)
ザーンセスカンス~アムステルダム市内めぐり

 当初の予定より1時間早い8時のホテル出発となる。昨日やり残したアムステルダムの運河巡りが、今日の午前に回されたからだ。前日の大渋滞の影響が、この日にまでおよんでいた。

●ザーンセスカンスで木靴づくりを見学

靴職人のおじさん ホテルを出たバスは、風車の村、ザーンセスカンスへ走る。アムステルダムからは約15キロで、昨日のような渋滞もなく9時すぎに現地に到着する。バスを降りると、風車が見える田園風景がどーんとひろがっていた。池にはカモやアヒルが浮かび、草いきれのむっとするにおいがただよって、いかにも田舎に来たという雰囲気だ。巨大な草刈り機がやかましい音をたてて、川べりの雑草をごっそりと刈り取っていった。

 はじめに、ビジターセンターでオランダの木靴製作の実演を見る。昔は、木を削ったりくり抜いたりの手作業に丸2日かかっていたそうだが、いまはたったの2分半でできるのだと、加工用の機械を巧みにあやつりながら男性が解説する。

ずらっと並んだ木靴 削り出す前のポプラの木は、加工しやすいように水で湿らせてあって、削った後は3週間かけて乾燥させるそうである。作業をしていた男性が、その場でくり抜かれたばかりの木靴に息を吹き込むと、つま先のあたりから水がにじみ出てきて、滴になって地面に落ちた。

 さまざまな形をした木靴が置いてあり、即売をしていた。もちろん実際に履いて歩けるもので、子ども用からキングサイズまで取りそろえていた。木靴風のサンダルもあって、軽くてとても履きやすそうだったが、かさばることに加え、観光客目当ての値段なのかどれも値が張っていて、買う気にはなれなかった。結局、木靴のミニチュアをみやげ用に買って外に出た。

ザーンセスカンスの風車 ザーンセスカンスには4台の風車があり、すべて現役だそうである。内部も見学させてくれる。風車をバックにして写真を撮りながら、ゆっくりと付近を散策する。ここにはチーズ工場もあって、オランダの伝統的なチーズづくりを見せてくれるらしい。ザーンセスカンスは、酪農の国オランダが味わえる小さなテーマパークといったところだ。

 そんなのびのびとした雰囲気に浸っていたら、いきなり中国人の団体が次々と押し寄せてきた。わたしたちのツアーのすぐあとに到着したらしく、老若男女の中国人が100人以上いて、大声で話しながらどやどやと歩いている。タバコを吸いながら歩いている中国人もいて、のどかな田園の雰囲気は台無しになった。中国人観光客のマナーの悪さに、いささか腹を立てながら、無勢に多勢で文句も言えず、そそくさとバスまで引き返した。

●アムステルダムに張り巡らされた運河を船で行く

アムステルダムの街角で ふたたびアムステルダムまで帰り、ゴッホ国立美術館を見学する。さまざまな時代のゴッホの作品が展示され、作品数では世界一といわれる美術館だ。受付でイヤホンガイドを借りて、ゴッホの絵を一つ一つ見ていく。イヤホンからは日本語の説明が流れてくる。

 初期の作品である『馬鈴薯を食べる人々』は、真っ黒な泥に汚れたような重苦しい絵で、人々のごつごつした顔つきから、当時の農民の苦しみや哀しみ、そして、生きているということへの感謝と喜びが伝わってくる。これら初期の作品とは正反対に、ゴッホが明るい色彩を好んだ晩年の絵もたくさん展示されていて、南仏アルルで暮らした時代に描いた『カラスの群れ飛ぶ麦畑』は、ゴッホが37歳で自殺する数日前に描いたものだという。

運河巡りのバスの中で 美術館には、ゴッホ以外の作品も展示しているが、とてもそこまで時間がなく、ざっとひと回りしてミュージアムショップで絵はがきなどを買うと、すでに集合時間になっていた。

 その後、前日やり残した運河巡りに行く。アムステルダムに存在する運河は160本以上、そこに架かる橋は、1,200本以上だと言われている。アムステル「ダム」という名前の通り、水をせき止めて石と土で作ったダムできりひらいたオランダの首都は、縦横に運河が張り巡らされ、重要な交通の手段ともなっている。

 運河巡りは、アムステルダム中央駅近くの船着き場から出発して、約1時間かけてもとに戻ってくるというものだ。船に乗り込む頃には正午を過ぎ、強い日差しが船上にも差し込み、オランダのこの時期ではめずらしいほどの暑さとなった。そんな日和のなかを、50人ほどを乗せた船がゆっくりと運河をすすみ、市内の名所をめぐっていった。船内ではテープによる解説が流れ、オランダ語、フランス語、英語、日本語の順で案内が続いた。

●戦争の悲惨さをあらためて思い知らされた「アンネの家」

アンネの家 船を下りると、午後からは自由行動となる。すでに午後1時を回っていたが、昼食も食べず、お目当ての「アンネの家」に駆け足でむかう。運河巡りの船から見えた「アンネの家」には、たくさんの人たちが入口に長い行列をつくっていた。アムステルダムでは、ここだけは行きたかったので、さっきの行列がさらに長く伸びているのではないかと気が気でなかったのだ。

 地図をたよりに、少々迷いながらも、「アンネの家」に到着する。予想に反して入口には一人も待っていなかったので、それを見ていささか拍子抜けしてしまった。腹が減っていることも忘れて、入場券をひったくるようにして受け取り、展示室に入る。

 狭い階段をあがっていくと、隠れ家への入口を本棚がカムフラージュし、蝶番(ちょうつがい)によって本棚が移動するようになっている。ナチスの目を逃れてアンネの一家は、この隠れ家に2年間ひっそりと身を隠していたという。その生活を克明に記録した『アンネの日記』は、かろうじて収容所で生き延びた父親のオットー・フランクが、戦後に娘の日記を根気よくまとめあげたものだ。戦争の悲惨さ、ユダヤ人弾圧の理不尽さを世に伝えるため、父親は亡くした娘の日記を本にして世に出した。

ひっそりと立っていたアンネの像 アンネが暮らした部屋には、彼女が雑誌から切り抜いて壁に貼っていた映画スターの写真が、当時のままに残っていた。もちろん外には出られないばかりか、階下にジャム工場の従業員がいる昼間は、足音を立てることさえ許されなかった。ひたすら息を殺して多感な時期をおくらなければならなかったアンネの苦悩と生への希望を、残された品物の一つ一つが語りかけてくるようだった。

 展示室では、各所でビデオでの説明があったり、ユダヤ人弾圧を記録した写真や、実際にアンネの手で書かれた日記などが展示してあった。それらの説明はオランダ語もしくは英語だが、日本語のパンフレットが置いてあって、それを頼りに見ていけば、だいたいは理解することができた。

●ツアー最後の夜のディナーに思い出話で盛り上がる

運河沿いの道で 西教会の前にあるアンネの銅像といっしょに写真を撮ると、昼食を食べていないことを思い出した。教会の敷地内で店を出していた屋台でサンドイッチを買い、二人でベンチに座って食べた。空腹は最高の調味料とはよく言ったもので、シンプルなサンドイッチが抜群にうまい。

 教会にたくさんの鳩がいた。人間たちが食べている姿を目ざとくみつけて、一羽一羽とわたしたちに近寄ってくる。あっちへいけと追い払っても、しばらくするとまたやって来た。うっかりパンを一切れ落としてしまったのだが、鳩はここぞとばかりにそれをくわえて、さっと飛び立っていった。このあたりは、日本の鳩もオランダの鳩も同じなのだった。

アムステルダム コンセルトヘボウ なんとか腹ごしらえができたところで、トラムに乗ってふたたびゴッホ美術館にもどる。ゴッホ美術館は、入場券を見せれば何度でも再入場ができるので、団体行動の時間に見逃したモネの作品を中心に見て回った。美術館を出た後、トラムでホテルの近くの停留所まで帰ってきて、日本でもおなじみの『ミッフィー』ショップに立ち寄り、おみやげを買ってホテルに戻った。

 ツアー最後の夕食は、アムステルダム郊外の「風車のレストラン」でいただく。行ってみれば、確かにレストラン全体が風車になっていて、他のツアー客もバスを乗り付けて、そのレストランに入っていく。いかにも観光客むけのレストランのように見えるが、中に入ってみると、落ち着いた雰囲気で、地元の住民らしい少し裕福そうな人たちがいて、金曜日のディナーを楽しんでいた。

アムステルダムの猫 すこし窮屈なテーブルに19人が並んで腰掛け、ツアー最終日のディナーが始まる。今日は、飲み物を一人1杯分、JTBからサービスすると福永さんが宣言すると、いっせいに拍手があがる。地元オランダの料理もおいしく、あと1日という安心感に加えてアルコールも手伝って、みんな饒舌になっていた。ツアーを振り返っては、思い出話に花が咲き、あちこちから笑い声がわき起こる楽しい最後の夜となった。

9月4日 エダム~フォレンダム →

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オランダ・ベルギー旅行記

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