集合場所をまちがえて、京成線の終点の成田空港第1ターミナルまで行ってしまい、空港内の循環バスで引き返すというドタバタはあったが、十分余裕を持って自宅を出てきたので、朝10時の集合時間に遅れることはなかった。

● ドアチェーンが緩むローマのホテル

 今回のイタリアへのツアーは、24名の参加者で、添乗員は、笠原さんという女性である。成田では、全員がそろったところで簡単な説明を受ける。出発予定時間30分前の11時30分に飛行機に乗り込んだが、滑走路で延々と待たされ、予定時間よりも1時間も遅れてようやくフランクフルト行きの飛行機は離陸した。

 シートベルトのサインが消え、1回目の機内食が終わると、スクリーンでは映画が始まった。そのころ日本でも大ヒット上映していた『タイタニック』が上映されていて、その間はけっこう退屈もせず、機内での時間を過ごすことができた。

 給油のために、スイスのチューリッヒ空港でいったん飛行機を降ろされる。巨大な空港にずらりとならんだ免税店を見て歩くが、まだ目的地にさえもたどり着いていないのにおみやげでもなく、ひたすら高級ブランドがならんだ店のウインドーショッピングに励む。約1時間後に再び機内に戻る。妻は、映画の見過ぎと寝不足だと言って、到着地に近づくにつれ、しきりと頭痛を訴えた。

 20時にローマのフィウミチーノ空港に到着する。別名レオナルド・ダ・ビンチ空港とも呼ばれ、こちらのほうが名が知れている。バスに乗り、約30分でローマ市内の「ジェリーホテル・レオナルド・ダ・ビンチ」に到着する。ホテルまでダ・ビンチの名前がついているとは、この国では英雄なのだろう。ロビーで明日の予定について笠原さんから簡単に説明を受けて解散となり、それぞれ部屋にむかった。

 入った部屋は狭くて古い。ドアチェーンがひどく長くて、すきまから手を入れれば簡単にチェーンをはずせそうで不安だった。ツアーの案内にはローマでは最高ランクのSクラスを保証するとうたっていたが、これが最高クラスなのかと大いに疑いを持った。疲れていたこともあったが、まあローマが「古都」である以上、これくらいが当たり前なのかもしれないと軽く考え、簡単にシャワーを浴びてすぐにベッドに入った。

●泉がとだえたトレビの泉

ポポロ広場のオベリスク 疲れていたはずなのになかなか寝付かれず、寝入っても夜中に目がさめてしまう。明らかな時差ボケだ。うつらうつらする中で、外が明るくなった。今日は一日、ローマの観光地をあちこちと飛んで回ることになっている。

 朝食の前にホテルの外に出て、二人であたりを散歩してみた。近くにはポポロ広場があり、その中心には、台座を含めれば高さが36メートルにもなる「フラミニオ・オベリスク」が堂々たる姿を現している。ローマ帝国初代皇帝のオクタヴィアヌスが、紀元前31年にエジプトを征服したとき、ヘリオポリスの太陽神殿から持ち出したとされている。

 オベリスクを挟むようにして、双子教会が建っている。双子教会とは、サンタ・マリア・イン・モンテサント教会とサンタ・マリア・ディ・ミラーコリ教会のことで、2つ並んだ教会はそっくりの形をしており、まさに双子のようだ。ポポロ広場が修復工事の最中で、まだ朝早いというのに、すでに作業員たちが忙しそうにテントを出入りしていた。残念ながら、工事用のテントがかけられた広場の内部は拝見できなかった。

 「郷に入っては郷に従え」とはいうが、はじめて足を踏み入れたローマで、横断歩道を渡るために、いったいどの信号を見ればいいのかさえもわからずにとまどった。早朝でも通る車両は多く、しかも車は総じてスピードを出していて、ゆっくりと散歩するのも怖かった。広場で写真だけ撮って、早々とホテルまで引き返した。

 ホテルの朝食メニューはビュッフェ形式で、料理の品数も多くおいしかった。パンも、クロワッサン、食パン、固くて丸いパン、黒パン、などなど種類は豊富だったのはうれしかった。食べ放題だったので、妻はパンを少し食べ過ぎたと言う。フルーツやヨーグルトも十分に用意されていて、オレンジやグレープフルーツのジュースも新鮮でおいしかった。たしかに、食べ過ぎるというのも納得できる。

ホテルの前で 9時15分にバスでホテルを出発する。バスには、ローマに住む田中さんという女性のガイドがすでに乗り込んでいて、まずはじめにおなじみのトレビの泉にむかった。トレビの泉は、教皇クレメンティウス12世によって1762年に建造されたもので、ネプチューンやトリトンなど海の神をはじめ、たくさんの彫像に取り囲まれて中央に大きな泉(池)が掘られている。

 この泉はローマに観光で来ればおそらくだれでも訪れ、そしてだれもが後ろ向きにコインを投げ入れるだろう。泉の底にたまったコインは、毎週月曜日に池の底をさらって回収され、赤十字に寄付されると田中さんから聞いた。そして、なんと今日はその月曜日! 日頃はこんこんと湧き出ている泉は途絶え、作業員たちが集まって池の水を抜く準備をしていた。

 肩越しに一枚コインを投げれば、再びローマを訪れることができるという。今日中には回収されてしうまうとわかっていながらも、財布からコインを取り出す。だが、手にしたのは日本の10円玉。昨日ローマに着いたばかりでは、あいにく成田で両替してきたリラ紙幣しか財布になかったのだ。田中さんは、コインを2枚投げれば結婚でき、3枚投げれば離婚できると教えてくれたが、もちろん泉に投げ入れたのは1枚だけだ。

●コロッセオは残酷なスタジアム

トレビの泉 目を凝らすと、泉の途絶えた池の底には、さまざまな国の硬貨がたまっていた。世界各地から人が訪れる観光名所はまた、スリやひったくりの名所でもあるそうで、決して油断してはならないと、田中さんから十分すぎるほどの注意を受ける。そう思って見れば、怪しげなロマの親子もいて、なかなか気を抜けなかった。

 この近辺に限って短時間の自由行動が許され、イタリアンジェラートの店があったので、さっそく食べることにした。さまざまな種類のジェラートがずらりとならんでいて、その中から選ぶことができる。1種類だと3千リラで、2種類のジェラートならば4千リラと相場が決まっている。わたしはチョコ、妻はティラミスを頼んだ。冷たくてひたすら甘い。

 その後の市内観光では、バスに乗ってフォロロマーノやコロッセオなどローマ帝国時代の遺跡を訪ねて回った。どの遺跡も壊れかけ寸前の様相で、いたるところで修復工事がすすめられていた。まず、コロッセオの見学をする。入場料は1万リラもしたが、その収益は修復や清掃のため有効に使われると聞いた。

コロッセオ コロッセオは、ティトス帝が紀元80年頃に完成させた巨大な競技場で、当時で5万人もの観客が収容できたという。催されるのはスポーツやエンタメではなく、囚人や奴隷同士、あるいは猛獣と人間との壮絶な戦いだったという。残酷な殺し合いがローマの人々の格好の見せ物になっていたそうだ。当時、世界を支配していたローマ帝国が市民の士気高揚をねらってもいたらしい。競技場の床の下には、囚人や猛獣の収容所があったが、今は、その床が取り払われていた。ひっそりとした暗い床下から血の臭いがただよってきそうだった。

 午前中は、ツアーお決まりの旅行社の指定免税店でのお買い物タイムがあり、その後、昼食となり、近くのレストランで本場のピザをいただく。サラダがひどく塩辛く、とても食べづらかったが、ピザは意外とさっぱりしていて、日本の宅配ピザのように、チーズが納豆のように糸を引くこともない。

フォロ・ロマーノで おいしいピザととともに、本場イタリアワインなどもいただき、1時間ほどゆっくりと食事を楽しんだ後、午後からもローマ市内観光をつづける。あれこれの遺跡を2人で手をつないで歩いていると、添乗員の笠原さんがわたしたちに近づいてきて、「新婚さんですか? お若いですね」などと思いもしない言葉をかけられた。妻は、しきりと照れながら、「いえー、ちがいますよー」と言下に否定したが、その顔はまんざらでもなさそうだった。

●感動の連続だったヴァチカンの美術品

 午後の観光のハイライトは、ヴァチカン美術館とサンピエトロ寺院の見学だ。世界最小の独立国家であるヴァチカンには、ローマ法王が住んでいらっしゃる。この小国の象徴でもあり、世界遺産となっているサンピエトロ寺院も、現在は改修中であり、建物の外壁には足場が施され、残念ながら外見を拝むことはできなかった。

サン・ピエトロ広場で サンピエトロ寺院のシスティナ礼拝堂に入る。たくさんの観光客がいたが、人々のざわめきがいっさい聞こえてこないのが不思議だった。そして、正面の壁には、ミケランジェロの『最後の審判』が巨大な姿をあらわしていた。今回のイタリア旅行でのお目当てのひとつだ。ガイドの田中さんは、ひそひそ声で大壁画の解説をしてくれた。礼拝堂なので当たり前だが、ここでの大声は禁止されているそうだ。だから大勢の人がいながらも、ひっそりとしていたのだ。

 ミケランジェロは、教皇パウルス3世の依頼をうけて、1541年にこの大壁画を完成させたという。十字架にかけられて処刑されたキリストが、ふたたびこの世に現れて人間の善悪を裁くという教義を、数え切れないほどの人々の群像によって見事に表現している。

サン・ピエトロ広場のライオン 中央には、右手を大きく挙げて、天国か地獄かを瞬時に裁くキリストが、そして、その回りには、天使によって天国へと招かれる「善人」と、地獄につき落とされる「悪人」が、表情がわかるほど繊細に描かれている。写真では何度か拝見した大壁画だったが、実物を前にするとまさに息を呑む迫力を感じずにはいられなかった。ルネッサンス芸術のすばらしさをまざまざと見せつけられる。

 田中さんによれば、ミケランジェロは、この大壁画の完成までに8年を費やしたが、しかし、近年になっておこなわれた修復にはその2倍近い15年間が必要だったそうだ。そして、修復資金を出したのは、バブルに沸いていたころの日本の大企業だった。

天井のだまし絵 ミケランジェロがまだ20代のときに製作したという「ピエタ像」が、サンピエトロ寺院の大聖堂にひっそりと飾ってあった。磔(はりつけ)の刑に処され、十字架から降ろされたキリストを静かに抱きとめる聖母マリアからは、言いようのない深い悲しみが伝わってくる。大壁画の豪快さとは対局にあるピエタの繊細さを目にすると、やはりミケランジェロは天才であるとしか考えられない。

 サンピエトロ寺院に隣接するヴァチカン美術館では、数々の展示品にとどまらず、美術館の天井から壁に至るまですべてが美術品といった感じだ。一見すると立体的な彫刻に見えるが、実は平面に絵を描いただけの精巧な「だまし絵」が至るところに飾られている。これらの完成までには、120年もかかったというから驚かされる。

●どきどきしながらローマの地下鉄を初体験

スペイン広場の階段 ヴァチカン美術館を出て、バスでローマの中心地まで戻ってくると、ホテルでの夕食までは自由行動となった。わたしたちは、映画『ローマの休日』でおなじみのスペイン階段にむかった。映画では、オードリー・ヘップバーンがこの階段でジェラートを食べていたが、現在は、階段での飲食は禁止されている。でも、オードリーのように階段に座ることは自由で、たくさんの観光客が写真を撮ったり、恋人たちは時間を忘れて愛を語らっていた(たぶん)。

 わたしたちも、オードリー・ヘップバーンになったつもりで写真を撮り、そして、大急ぎで「ローマ三越」へとむかった。三越では、自分たちへのみやげ物をさがし、妻は6万2千リラもするフェンディのネクタイを買ってくれた。本人はさんざん時間をかけて、いろいろと思いあぐねていたが、結局、何も買わなかった。

真実の口(レプリカ) 本当は、これも「ローマの休日」で有名になった「真実の口」にも行きたかったのだが、市内の中心地から離れ、往復に時間がかかりそうなのであきらめたのだった。その代わり、三越の中に、「真実の口」の「偽物」があったので、ちゃっかりと記念写真を撮らせてもらった。これで「本物」を見てきたなどと言えば、口を開けた海神トリトーネに手をパクリとやられそうだ。

 三越を出たところに地下鉄の出入り口があった。ガイドの田中さんからは、地下鉄はスリや強盗がいて危ないとさんざん脅かされていたが、何でも経験とばかりに思い切って乗ってみた。田中さんによれば、ローマの街を足早に歩くのは「トロボーと日本人だけ」だそうで、泥棒と間違われるので街中では決して走ってはいけないなどという冗談のような話をニコリともせずに語っていた。要するに、こそこそせずに堂々と歩き、一方では用心すべきことはしっかりと用心するということだろう。その言葉にしたがい、素知らぬ顔でシートに腰掛け、心の中はドキドキして、何事も起こらずに目的の駅に到着した。

ピンチョの丘で 地下鉄の駅の階段をあがり、ローマ旧市街地を一望できるという「ピンチョの丘」へむかう。かつてピンチ家が所有していたので、この名がついたそうである。丘の上まで一気にのぼるのと、歴史あるローマ市街の風景が、はるか遠くまで広がっていて絶景だった。目を凝らせばサンピエトロ寺院も見えた。ここまであがってくるのはきつかったが、妻はひろがるローマの景色を前にして、しきりと感激していた。

 太陽はすでに傾きかけていて、時計を見ると6時を過ぎていた。ピンチョの丘で時間を過ごし、歩いてホテルにたどり着いたときには、すでに夕食時間の7時30分になっていた。大急ぎでホテルのレストランにむかう。夕食は、野菜スープ、子牛のソテーなどであり、歩き回ってお腹がすいていたこともあり、どれもすこぶるおいしかった。部屋に帰ってきて、疲れながらもきょうの記録をあれこれと手帳に書き留める。おかげでベットに入ったのは11時になっていた。

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