雨は朝になってもあがらなかった。6時のモーニングコールで目を覚まし、カーテンを開けて空を見る。気がつかなかったが、ホテルの前の通りでは、すでに朝市の準備が始まっていた。

●心臓バクバクの単独行動

ミラノのホテルの前で きょうはツアーの最終日だ。空港にむかうバスの集合時間は、10時30分となっている。それまでのわずかな時間を使って、『最後の晩餐』を見に行く計画をたてていた。ところが、雨模様の天気に妻は弱気になったのか、忙しそうに働く朝市の人々を窓の外に見ながら、「無理に行かなくても、朝市でも見物していようか」などと言い出す。

 しかし、『最後の晩餐」があるサンタマリア・デル・グラッツェ教会の開館時間に間に合うように、すでに7時にタクシーを予約していた。観光客が集中すれば、入館まで1時間以上待たされることもざらにあるそうで、確実に入るには開館時間の前から並んで待っておいたほうがいいと添乗員の笠原さんから勧められ、とにかく早く出ようと前日から準備をしていた。

店を開き出した朝市 だから、弱気なことは言っていられない。すでに後戻りは許されないのだ。ほんとにこんな早い時間にイタリアのタクシーは来てくれるのか。どうやってイタリア人のドライバーに説明すれば教会まで行ってくれるのか。こんなに早く朝市が出るようでは、道路も早朝から混むのではないか――などと、考えれば考えるほど不安ばかりが募る。

 言葉が通じなかったときのために、教会の名前をイタリア語で書いたメモまで用意し、意を決して二人で部屋を飛び出す。わたしたちの不安を察知していたのか、はからずもエレベーターを降りると笠原さんが待っていて、「おはようございます」と明るい声でわたしたちを迎えてくれた。その姿にどんなに安堵したことか。タクシーが予約した通りの時刻に着くと、彼女は運転手にいろいろと説明までしてくれた。

ミラノ市内で タクシーは、10分ほどであっけなく目的地に到着した。雨は小やみなく降っていた。サンタマリア・デル・グラッツェ教会の前も、雨音が聞こえるだけで人影は見られなかった。運転手に教えられた教会の入口にも、一人として待っている人の姿はなかった。時間が早すぎたのか、長蛇の列とは言わないまでも、ある程度の行列を予想していただけに、いささか肩すかしを食らわされた。

 開館にはまだかなりの時間がある。傘をさしたままで立っているのもつらいので、教会の正面にあるバールへ入って、コーヒーを飲むことにした。「ドーエ・カプチーノ・ペルファボーレ」とおそるおそる注文すると、湯気の立った暖かいカプチーノが2つ出てきた。小さなバールだったが、日本で言えば、「ドトール」のような店で、出勤前の人たちがあわただしく入ってきては、立ったままでコーヒーを飲んで出て行った。

●キリストの足を切り取った!

これぞ『最後の晩餐』 窓際の椅子に腰掛けて、泡立ったコーヒーをすすりながら教会の入口を見張っていると、7時30分を回ったころ、最初の団体が教会に到着し、人々がぞろぞろと降りてきた。それを見て、あわててバールを飛び出す。結果的には、その団体の後ろにならぶこととなったが、その後も、続々と団体の観光客が到着して、人々の行列はあっというまに長く伸びていった。そして、なんとその人たちのすべてが日本人だった。

 先を越された団体は10数名の小さなグループで、聞いてみると、昨夜関西空港からミラノに到着したばかりで、これから11日間をかけてローマまで行くらしい。みんな年輩の人たちで、なかには、わたしたちの両親くらいの年かさの人もいた。「もうそろそろ開(あ)くんとちゃいますか」と、京都出身のわたしには聞き慣れた関西弁が、サンタマリア教会の前を飛び交っていた。

反対側の壁画 雨脚はいっそう強くなっていた。さした傘に容赦なく雨が降り注ぐ。イタリアについた初日が悪天候だったことに不安を感じているのか、こころなしか先に並んだ年輩グループの人たちの表情が一様に暗い。その顔を見て思わず、「これから晴れるから大丈夫ですよ。わたしたちだって、こんなに雨が降ったのは、最終日のきょうだけやったんですから」と元気づけた。

 そうこうするうち、開館予定時間の8時を過ぎたころ、ようやく教会の門が開いた。団体の観光客がどっと教会の中へなだれ込む。団体客らはどこで入場券を手に入れたのか、わたしたちが窓口でチケットを買っているうちに、うしろの団体にも追い抜かれてしまった。

 大急ぎでチケットを買い、団体のあとにくっついて『最後の晩餐』のある広い部屋に入る。壁一面に描かれたフレスコ画は、思っていたとおり圧倒的な迫力だった。ミケランジェロによるバチカンのシスティナ礼拝堂の「最後の審判」とは違って、おだやかさや落ち着き、神聖さを感じさせる。日本人団体に随行してきたガイドの説明を盗み聞きしながら、レオナルド・ダ・ヴィンチの名作に見入った。

キリストのアップ 『最後の晩餐』とは、その題名のとおり、キリストが逮捕され磔(はりつけ)の刑にされる前夜に、12人の弟子たちと最後の食事をともにする様子を描いたものだ。キリストはその席で、自分をユダヤの祭司長たち売り渡した裏切り者の名を告げる。キリストがそれがユダであると告げると、弟子たちの間にすみやかに動揺がひろがる。その瞬間を、ダ・ヴィンチは巧みに描写している。

 絵の中では、ナイフを隠し持っているユダが描かれ、彼こそが裏切り者であることを表現している。驚いた弟子たちは、ある者は叫び、ある者は大きく目を見開き、また、ある者はキリストから目を背けて嘆いている。真ん中にいるキリストは動揺もせず、堂々と座っている。その顔は穏やかで、キリストは無念だったのだのか、それとも静かにそれを受け入れたのか、わたしには読み取れなかった。

ミラノの街角で わたしたちが立っている部屋は、かつては修道院の食堂だったそうで、その壁を飾るため、教会から注文を受けたダ・ヴィンチは、1495年から3年がかりで壁画を完成させた。ところが、できあがってから隣の部屋への通路をつくるために、壁の一部をくり抜いたので、キリストの足の膝から下が無惨にもちょん切られてしまったのだった。

 もちろん、現在は、かつての通路はふさがれているが、確かにそこに出入り口があったことがはっきりとわかる。災難に遭った絵画はいまや全世界から多くの人々が押しかける観光地となった。壁画はちょうど修復中で、観光客でにぎわう前で、若い女性がそれを気にかけもせず、少しずつ色を塗り重ねていくという根気のいる作業を黙々とつづけていた。

●寸暇を惜しまず、結果、大満足

雨が降るミラノ 団体客があわただしく去っていた後に、妻を絵の前に立たせて写真を撮った。フラッシュなしで、三脚を使わなければ撮影は自由と聞いていた。薄暗い照明のもとで、いまのようにデジカメもない時代で、果たしてうまく写っているかはわからなかったが、とにかくシャッターを押し続けた。

 ひとかたまりの団体が出て行くと、それについて教会の外へ出る。時計を見ると、8時15分だった。もっと時間が過ぎているように感じたが、開門してからわずか10分ほどしか経っていない。ホテルに引き返すため、どしゃ降りの雨の中をタクシーを探して歩き出すと、ちょうどその時、教会に客を連れてきたタクシーがわたしたちの目の前に停まった。

ホテル前で 渡りに船とばかりにタクシーに乗り込む。雨の中をいくらかは歩かなければならないと覚悟していただけに、その幸運に感謝した。すべてが順調にいき、名画も堪能できて満足してホテルに帰ってきた。無事にホテルに着いたのは8時30分だった。その頃には雨は小やみになっていた。イタリア「最後の朝食」を逃してなるまいと、大急ぎでレストランにむかった。

 ホテルのレストランでは、すでにツアーのみなさんが好きな場所に座り、ゆっくりと食事をとっていた。考えてみたら、時間に追われないのはイタリアに来てからはじめてだ。テーブルに並べられた料理を皿に取っていると、わたしたちが絵を見に行くことを知っていたツアーの女性が近づいてきて、「やっぱり、行くのやめたんですか?」と聞いてきた。

 おそらく、雨の中の外出を断念したと思ったのだろう。こんな早い時間にホテルにいるのだから、そう考えるのは当然だ。そう聞かれると妻は、「行ったんですよー。すごく良かったですよー」と、自慢たっぷりに言葉を返す。つい数時間前、ホテルの部屋を出て行く前はあんなに弱気だったのに、その変わりようにわたしは苦笑した。

にぎわうミラノ朝市 わたしも満足していた。確かにたった10分間の鑑賞だったが、寸暇を惜しんでの観光には大きな収穫があった。物怖じせず、どん欲に歩き回るのが、海外旅行の秘訣ではないだろうか。結局、『最後の晩餐』を見たのはわたしたちだけで、ツアーの人たちに聞いてみると、行ってはみたかったが、どしゃ降りの雨を見て、あっさりとあきらめてしまったようだった。

 バイキングの朝食は、魚や野菜の料理など、さまざま取りそろえてあり、このツアーの中ではもっとも豪勢なものだった。ホテルの部屋も、広くてきれいで、ツアーの最後に最高のホテルに出会ったことに満足した。

 ふと、1時間ほど前に出会ったミラノからローマにむかう年輩のグループを思い出し、あの人たちは11日間の旅をどんな気持ちで過ごすだろうかと考えたりした。ドアチェーンのたるんだローマのホテルを思い浮かべ、わたしたちの両親ほどの歳の人たちが、イタリア最後の夜をあんな狭くて古いホテルで過ごすことにならなければいいがと案じた。

●走り去った「イタリアの休日」

ヴェネチアにて ゆっくりと荷造りし、10時にスーツケースを外に出すと、もうやることもなくなり、チェックアウトして、大勢の人々が集まっている朝市に出かけることにした。早朝は、果物や野菜、魚介類など新鮮な食品だけだったが、時間が経つごとに、カバンや洋服までも売る店がテントを並べ始めていた。

 空港へのバスが出発する10時30分になる頃には、台所用品の店が準備をしていて、並べられたかわいらしい皿やコーヒーカップを見て、妻が、「もう少し早く店を出してくれたら、ゆっくり見られたのにー」と、何も買えなかったことをしきりと悔しがった。

 みんなが集合したところで、ミラノのマルペンサ空港へむけてバスが走り出した。11時30分に空港に到着する。出国のさまざまな手続きをすませて、空港内の免税店で最後の買い物をする。イタリアワインと、おみやげにバッグを買った。それと、バラマキ用のボールペン10本を買って、手持ちのリラをすべて使い果たした。

 14時に成田にむかう飛行機に乗り込む。長いようで、やはりあっという間の「イタ急」の旅は終わった。(完)

ありがとうございました。ホームへもどる