6時に起床。窓を開けると、朝から天気がいい。きょうはあちこちを回って、フィレンツェまで行く。手早く支度をして、6時45分にスーツケースを部屋の外に出し、昨日と同じ朝食を食べ、そして7時30分にはホテルを出発する。あわだだしいスケジュールだ。ジュリオさんという運転手に、ミラノに行くまでの運転を彼に任せることになる。

●とてもにぎやかだったシエナのカンポ広場

ピンチョの丘から見たローマ旧市街地 ドイツではアウトバーン、イタリアでは「アウスストラーゼ(幸運の道)」と呼ぶ高速道路をひた走り、一路イタリア中部トスカーナ地方のシエナの街までむかう。道路の両側には、広大なぶどう畑がひろがっていた。単調な景色がつづき、退屈さをまぎらわせるために、車内では添乗員の笠原さんがいろいろとおもしろい話を聞かせてくれた。

 彼女が言うには、JTBが「イタリアの休日」(略して「イタ休」)と名付けたわたしたちのツアーは、はじめてイタリアを訪れる人たちにはとても人気があるのだが、ローマ、フィレンツェ、ヴェネチア、ミラノなどのイタリアの代表的な都市を、超特急のごとく駆け抜けることから、添乗員の間では冗談ではなく「イタ急」と呼ばれる過酷なツアーだそうだ。ローマを出てしまえば、早朝出発の連続となるのだ。

道路を渡るイタリアの猫 笠原さんは、イタリアでのショッピングのコツも教えてくれた。フィレンツェでは革製品を、ヴェネチアではレースを、そして、ばらまき用のみやげには、バッチチョコがいいのだという。ちなみに、「バッチ」とはイタリア語でキスという意味だから、おなじみのキスチョコなのだろう。

 テベレ川に沿って走っていたバスは、11時前に高速道路を降りて一般道路へと入る。高速道路の出口にドライブインのような売店があり、トイレ休憩のついでに、おすすめのバッチチョコやアイスクリームを買ってバスの中で食べた。

どこにいるかわかる? およそ30分でシエナに到着した。街の中心部にあるだだっ広いカンポ広場は、イタリアで一番美しいところと言われているそうで、その日も、観光客をふくめてたくさんの人でにぎわっていた。「カンポ」とは、イタリア語で広場という言葉なので、「カンポ広場」という日本語は少しおかしい。広場は、煉瓦造りの古い建物がぐるりと取り囲んでいて、美しいと言うよりもとても開放的だった。

 街の中心部にある大聖堂(ドゥオーモ)が、シエナのシンボルとなっている。ゴシック様式のとても美しい教会だ。旧市街地をあちこち見学した後、昼食のレストランに入る。スパゲティのカルボナーラ、チキンのトマトソースという、こてこてのイタリア料理をおいしくいただく。デザートにはリンゴのケーキが出てきた。もちろんイタリアワインも昼間から堂々と飲んだ。結構いい気分になり、再びバスに乗り込む。

シエナの大聖堂 午後1時を過ぎれば、イタリア人をはじめラテン系の人々は、食事とシエスタという昼寝のための長い昼休みをとる。ワインがほどよく効いてきて、シエスタの時間となる。高速道路を快走するバスの中で、出発が朝早かったこともあって、ツアーの人たちもみんなシートに身を任せてシエスタしていた。このあたりがバス旅行のいいところだ。

●傾きを食い止めてバナナの形になった斜塔

 シエナから約3時間かかって、ようやくピサに到着する。バスを降りると、イタリア男性の現地ガイドが待っていて、流暢な日本語でピサの街全体の説明をしてくれた。ピサの斜塔に至るまでの道の脇では、いたるところでアフリカからの移民らしい黒人が、木彫りの像などのみやげ物を路上にならべて売っていた。

右端にピサの斜塔 イタリア国内に90万人いると言われる外国人の約3分の1が不法入国者だそうで、社会問題になっているらしい。イタリアみやげとは似つかわしくない怪しげな置物を売っている彼らは、主にエチオピア人だという。本国では収入はイタリアの40分の1にしか過ぎず、比較的に入国しやすいイタリアには、近年、大量の不法入国者が流入しているとガイドが詳しく話してくれた。

 そんな話を聞いているうち、おなじみのあの傾いた塔がみえてきた。1173年、ボナンノ・ピサーノによってドゥオーモの鐘楼として着工された塔は、もちろんはじめから傾いていたわけではない。もともとは、3階建てだったそうだが、港町のピサは地盤が弱いこともあって、しばらくして塔が傾き始めたという。

ピサの斜塔を支える 大慌てで傾きを食い止めようと、重し代わりに3階建ての塔を継ぎ足したのだという。だから、よく見ると3階から上は傾きが逆になっている。そう言われて斜塔を見てみると、確かに弓形に曲がっていて、いわゆる「バナナシェイプ」という形になっている。こうして全体が完成したのは14世紀後半だそうだ。

 ここまでの話を、イタリア人のガイドは、今でも傾斜の進行が止まらない斜塔を前に、「コマッタ、コマッタ」と眉をひそめながら説明してくれたのが楽しかった。ドゥオーモと併設する礼拝堂には、めずらしいほど長い残響効果があって、ガイドが実際に声を出して実験してくれた。音階の違う3つの音声をつづけて出すと、残響が長く続くため、最後には、美しい和音が礼拝堂に響いたことには、ツアーのメンバー一同、驚きの声を上げた。

 ここでの自由行動の時間は、わずか20分とあって、妻は大急ぎでトイレにむかったが、待っていても、なかなか帰ってこない。やっと帰ってきて、時間がかかった理由を聞いてみると、女性トイレの前に長蛇の列ができていたそうで、しかも、その行列に外国人女性が次々と割り込んできたそうだ。日本人のように行儀がよくない彼女たちを、妻は「ノン!」と毅然として押し返したことを自慢そうに話した。

教会の礼拝堂 斜塔の前には芝生の広場があって、そこに立って手を突っ張って少し離れてカメラに写せば、斜塔をささえているように撮れる。各国の観光客がみんなおなじポーズをしていて、それにまじってわたしたちも写真を撮り、外国人の露店のある道を引き返して急いでバスに戻った。

 17時30分にピサをあとにして、今日の宿泊地となる花の都フィレンツェをめざした。1時間ほどでフィレンツェ市内に入り、今夜の宿となる「ロンドラ・ホテル」(Hotel Londra)に到着する。荷物だけ部屋に置いて、歩いて夕食会場のレストランへとむかった。

フィレンツェのホテルで そのレストランでちょっとしたハプニングがあった。ツアーの女性が財布をすられたと添乗員の笠原さんに大慌てで言ってきたのだ。ローマでさんざん言われて、だれもがスリにおびえていたこともあり、一瞬、みんなの間に緊張が走った。しかし、幸いなことにどうやらその女性の思いこみだったようで、持ち物の中から無事に財布が見つかり、事無きを得た。わたしたちは、あらためて気を引き締めた。

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