5時45分にモーニングコールが響き渡った。今日は、「イタ急」ツアーの中でも、一番の早立ちだ。眠い目をこすりながら、6時30分にスーツケースをガラガラと引っ張ってバスまで運ぶ。ホテルには朝食の支度はなく、軽食の入った渡された弁当を大事に手に持ってフェリーに乗り込む。

●つるつるだったジュリエットのバスト

リド島の猫

 昨日、体調不良だと言って、ヴェネチア市内観光をキャンセルした若い女性の二人組が、心配そうな顔をして立っていた。訊くと、ホテルの部屋にジャンパーを忘れてきたそうで、タクシーで引き返しても、すでにフェリーの出発に間に合いそうもない。

 機転を効かせた添乗員の笠原さんがホテルに連絡を入れ、従業員の男性が車を飛ばしてジャンパーを届けてもらったときは、すでに出発の数分前だった。彼女らは、集合時間にもよく遅れて来たりで、いろいろと心配させてくれる娘たちである。

 定刻に出発したフェリーの売店で暖かいカプチーノを買って、ホテルでもらった弁当をあける。箱の中身はクロワッサンにビスケット、それにチーズとジュースが付いているだけの粗末なものだったが、空腹の身にはありがたかった。あこがれの水の都ともこれでお別れと思うとさびしい気持ちになった。ヴェネチアにはいずれもう一度訪れたいものだ。

塔の上から見たヴェローナの街 本日の到着地であるミラノへとむかう途中、バスはヴェローナに立ち寄って、つかの間の観光を楽しんだ。ヴェローナも、ヴェニスと同じようにレンガ造りの古い町並みが続いていた。市街地の中心にあるエルベ広場には、高さ84メートルのランベルティの塔が立っている。12世紀に建設された市庁舎に付随する塔で、ヴェローナの象徴となっている。

 4千リラを出して、エレベーターで塔のてっぺんまで上がった。テラスに出てみると、ヴェローナの素晴らしい風景がひろがっていた。イタリア人らしい子ども連れの男性に頼んで、街の風景をバックにした写真を撮ってもらった。そのお礼に、妻が日本から持ってきた浮世絵のカードを手渡すと、とても喜んでくれて、こちらも嬉しくなった。外国に来たとき、こうした現地の人とのふれ合いは、何とも楽しいものだ。

ジュリエットのバストに注目

 

 シェークスピアの名作『ロミオとジュリエット』は、14世紀のヴェローナが舞台となっている。皇帝派と教皇派に分かれて熾烈な争いがつづいていた当時、そのはざまに立った若い恋人たちの苦悩を描き、最後には悲劇的な死をとげた二人の物語を戯曲にしたものだ。モデルとなったジュリエッタの実家は観光地となっており、中庭にはジュリエッタがあの名セリフを語った出窓があり、その下に彼女のブロンズ像が置かれていた。

 このジュリエッタ像のバストに触れば、早く結婚できるというジンクスをだれかが勝手につくったようで、みんながその部分に触るので、バストがピカピカに光っていた。悲劇の主人公も、いまは縁結びの神様に仕立て上げられている。ツアーの女性たちは、なぜか亭主持ちまでが、先を争うようにして彼女の胸を触っていた。言うまでもないが、男性が同じことをやるのは、やめておいたほうがいい。

●名物ミラノカツレツに舌鼓

 ふたたび高速道路を走り、13時30分にミラノへ到着する。途中、イタリアに来てから初めての雨に出会ったが、幸運なことに、この頃には、すでに小降りとなり、昼食のレストランに着いたときは、すでに完全に雨は上がっていた。

ミラノ中央駅 昼食は、『モビーディック2』という名前のレストランで、ミラノの名物料理であるリゾットとミラノ風カツレツをいただく。リゾットとは、「欧風おかゆ」とでも言うべきもので、お米をサフランを使って黄色く炊き上げたものだ。バターの香りが食欲をそそる。ミラノ風カツレツは、紙のように薄く引きのばした牛肉にパン粉をつけて揚げたもので、見た目は駄菓子屋で売っている「紙カツ」のようだった。思わず、とんかつソースをかけたくなる。

 とてもおいしかったが、やたらと料理が出てくるペースが速く、それに、食べ終わればすぐにウエーターが皿を持って行ってしまうので、落ち着いて味わっている暇がなかった。店のペースにあわせて大急ぎで食べなければならず、イタリアには珍しくえらくせわしない食事となった。たっぷりとってあった昼食の時間が、逆に持てあましてしまうことになった。

ミラノの街角 食事が終わった頃にイタリア人の女性の、日本語ガイドが到着する。バスに乗って連れて行かれたのは、お決まりの日本人団体客専用の免税店だった。客も日本人だけなら、店員までほとんどが日本人だ。さすがにミラノだけあって、並べられた商品もとても高価なブランド品ばかりで、わたしたちにとってはとくに買うものもなく、ここでも時間を持てあました。

●ハイライトコースを歩く

 退屈な買い物タイムが終わると、ミラノの市内観光にむかう。はじめに訪れたのはスカラ座で、劇場のなかを見学する。だれもいない観客席には、天井まで升席が配置されて壮観だった。世界の名だたるオペラ歌手たちが美声を競い合ってきた劇場の内部は、建造から220年以上を経た長い歴史を感じさせる見事な造りだ。驚くほどに広い舞台では、ちょうどバレエの練習がおこなわれていた。今月の8日からが本番らしく、みんな気合いが入っていた。

スカラ座の前で 劇場内に設置されたスカラ座博物館では、劇場ゆかりのマリア・カラスの遺品などが展示されていた。ただ、入口のロビーを改造したような施設で、博物館と言うには、あまりにも狭くて粗末な感じがした。マリア・カラスは名前を知っている程度で、スカラ座との関係はよくわからなかったが、一通り見て回った。記念に売店で売られていたマリア・カラスのCDを購入する。

 スカラ座を出て、建物をあらためて外からながめてみると、ひどくみすぼらしく見えた。誰もがこれがあのスカラ座なのかと思うらしく、絢爛豪華な内部との落差が激しい。スカラ座からアーケード街『ガレリア』まで歩く。両側にブランドの店が立ち並ぶ『ガレリア』は、1867年にイタリア統一を記念してつくられた歴史的建造物で、第2次世界大戦の時に戦災にあったが、その後、もとの姿に完全に復元されたという。

ガレリオで スカラ座からアーケード街をくぐり抜け、ドゥオモを訪れるコースがミラノ観光のハイライトとなっている。広場の中心にあるドゥオモの前まで来ると、誰もがその世界一のゴシック建築に感嘆の声を上げるという。輝くように堂々とした姿を現す寺院に、思わずカメラのシャッターを切っていた。

 ドゥオモは14世紀後半に着工され、16世紀に完成したという。教会のなかでは、ちょうど12人の修道女の終業式が開かれていて、幸運にもおごそかで晴れやかなシーンを拝見させてもらうことができた。ひときわ美しいステンドグラスや壁画などをひと通り見学し、名残は尽きなかったが表に出た。

 その後は自由行動となり、ツアーのみなさんはそれぞれミラノの街へショッピングに出かけた。わたしたちは、ドゥオモの近くにあるデパートに入り、地下の食品売り場で本場のスパゲティを買ったり、たくさんの鳩が集まっているドゥオモの前の広場をぶらぶらして時間をつぶし、集合場所へむかった。

●「スパゲティ・ナポリタン」に感激

圧巻!ミラノのドゥオーモ 再び集合したツアーの人たちは、驚いたことに、みんな一様に大きな紙袋を下げていた。その紙袋には、『Gucci』や『PRADA』など、日本人にもおなじみのブランド名が大きく描かれていた。ツアーもいよいよ最終日が近づくと、買い物にも根性が入るようだ。ただ、わたしが手にしていた紙袋の中身は、スパゲティとオリーブオイルだったが。

 みんなそろったところで夕食のレストランへむかう。レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』があるミラノで、わたしたちも、まさしく最後の晩餐を楽しむこととなった。今夜のメニューは、スパゲティと骨付きの肉、ポテトなどであり、とてもボリュームがあって、妻は食べきれない部分をわたしに回してきた。

感激した! スパゲッティは、日本で食べる「ナポリタン」にそっくりだったが、ただし、イタリアには、「ナポリタン」などというスパゲティ料理はなく、日本人の創作料理だ。だから、たぶん、ここで食べている料理は別物なのだろうが、味や見た目はまさしく日本の「ナポリタン」に相違ない。

 ビールと赤ワインが料理にとてもマッチしていて、デザートに出てきたパンナコッタも美味しく、これは、みんなから好評を得ていた。大急ぎで流し込んだ昼食とは違って、ここのレストランは、一転してスローペースで出てきて、食事を終えたのは9時を過ぎていた。もっとも、イタリアのレストランでは、これが当たり前なのだろう。これでも日本のツアー観光客向きに速く出しているのではないかと笠原さんは言う。

 10時にホテルに戻る。夜になって雨が降り出してきた。あしたは早朝から、『最後の晩餐』を見るために単独行動を計画している。空模様を心配しながら、11時30分にベッドに入る。

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