2013年の秋、オーストリア各地をまわるツアーに夫婦で参加した。
少しだけこの国を紹介すると、オーストリアは1278年から第一次世界大戦後の1918年まで640年間もハプスブルク家による統治がつづいた。その後、共和国となったが、完全な独立を勝ち取ったのは1955年のことだった。独立と同時に永世中立国を宣言している。
北海道とほぼ同じ約8.4万平方キロメートルの面積を持つ国土は、ブルゲンラント、ケルンテン、ニーダーエスターライヒ、オーバーエスターライヒ、ザルツブルク、シュタイアーマルク、チロル、フォアアールベルクの各州およびウィーン特別市の9つの自治権をもった州で構成されている。
国民はドイツ語を話すので、ドイツ語のあいさつだけは出発前に少しだけ勉強しておいた。しかし、方言があるので、たとえば、「こんにちは」は、ドイツ語では「グーテンターク」だが、オーストリアでは「グリュースゴット」とあいさつをかわすのが普通だ。
今回のツアーで最後に訪れたウィーンは、人口約174万人のオーストリアの首都で、シュトラウス、モーツァルト、ハイドン、マーラー、シューベルトなど数々の作曲家を生み出した「音楽の都」でもある。今でも、世界中から音楽家志望の若者たちが訪れ、楽器や声楽、バレエやダンスの勉強にいそしんでいる。
アメリカのミュージカル映画「サウンド・オブ・ミュージック」は、第2次世界大戦中のザルツブルクが舞台となっている。劇中歌の「ドレミの歌」を歌ったことがない人はいないだろうし、「My Favorite Things」という歌は、JR東海の「そうだ、京都行こう」のCMに使われており、聞けば、ああ、あの曲かと気づくはずだ。映画は大ヒットし、ザルツブルクも世界的な観光地となった。
ツアーでは、有名な音楽祭が開かれるザルツブルクで、オーケストラを聞きながらディナーをいただき、ウィーンでは王宮オーケストラのコンサートを楽しむなど、まさに、「音楽の都」をたずねる旅でもあった。
ところでこの旅行の最中、2020年の東京オリンピック開催が決まったことを、インスブルックに着いた日に知った。さっそく現地の人たちから、私たち日本人観光客に対して、行く先々で祝福の言葉が投げかけられた。
だがしかし、それから7年が経って、世界は新型コロナウイルスの脅威に覆いつくされ、東京五輪・パラリンピックも、延期・中止へと追い込まれかけている。そして、あのとき大ボラをふいた当時の安倍首相は辞任し、森組織委員長も女性蔑視という赤恥を世界に晒しながら第一線を退いた。
復興五輪の看板をかかげたものの、東北の復興は遅々としてすすまず、福島第一原発は廃炉の見通しさえ立っていない。インスブルックのホテルのテレビで見た、安倍元首相はじめ日本関係者が大騒ぎする姿の異常ぶりだけが、コロナに苦しむ今だからこそはっきりと浮き上がってくるのだ。
話はそれてしまったが、オーストリアの雄大な自然、音楽や絵画など芸術にどっぷりと浸ることができた旅は、いつまでも心に残るすばらしいものだった。また、現地の人たちとのあたたかい触れあいも感慨深いものだった。その思い出だけは何としても残しておかなければならない。
さて、それではもう一度、記憶の中の旅に出発してみることにしよう。
オーストリアへようこそ!