9月8日 アルプバッハ~ザルツブルク

インスブルック市内観光~アルプバッハ~ザルツブルク

朝焼けのインスブルック
朝焼けのインスブルック

 夜中に目が覚めたり、また眠ったりで、結局、熟睡はできなかった。5時にベッドを出てカーテンを開けると、アルプスの山々の間を赤く染める朝焼けが美しい。

「東京オリンピック」決定を国際放送で知る

 テレビをつけた初めてのニュースは、NHKの国際放送が伝えた東京オリンピック招致決定の知らせだった。ロゲ会長が「TOKYO」と一言言うと、猪瀬知事はじめ関係者は大声で叫び、狂喜乱舞していた。

インスブルクの凱旋門  安倍首相も英語でスピーチし、「福島原発は完全にブロックされている」と、放射能に対する日本の安全性を強調していた。
しかし、福島第一原発の廃炉作業はこれから長期間つづき、完了するのは30年後とも40年後とも言われている。そのうえ、現時点では到底「ブロックされた」などと言える状態でないのは、誰の目にも明らかだ。これほど大ウソを世界に平気で言える首相は、日本人として恥ずかしい。そんなまともな声は、オリンピックの狂乱にかき消されるのかもしれないが、オリンピックのバカ騒ぎの裏側で、この先、日本に何が起こっていくのか、そのことは、今後、マスコミもしっかりと伝えていかなければ、報道機関としての果たすべき役割を失う。

 一方で、BBCニュースは、シリアの内戦の様子を報道していた。化学兵器の使用に対するアメリカの強硬姿勢はあるが、国際社会はそれについてきていないようだった。アメリカも孤立を深めていた。

インスブルック市内を走る路面電車  世界で何が起ころうと、私たちは今日から始まるツアーを楽しまなければならない。7時から開いていたレストランで朝食をそそくさとすませると、寸暇を惜しんで2人でインスブルック市内の散策に出かけた。

 まずは、ホテルの窓からも見えていた凱旋門に行く。日曜日の朝の市内には人影はなく、ひっそりとしていたが、ときおりワイン祭りで飲み明かした人を見かけた。陽は出ても、まだごきげんのようだ。

標高1900メートルのゼーグルーベ展望台まで一気に駆け登る

凱旋門 少し街を歩いてホテルに引き返し、8時30分に全員で市内観光に徒歩で出発する。はじめに訪ねたのは、いま行って来たばかりの凱旋門だった。凱旋門の表面には、マリアテレジアのインスブルックへの入場を祝う彫刻が彫られていて、「喜びの面」といわれる。反対側は、「悲しみの面」といわれ、夫を亡くしたマリアテレジアの深い悲しみを表しているのだという。凱旋門から旧市街にむかう道を、マリアテレジア通りと言い、中間くらいのところにアンナ記念柱が立っている。

インスブルック旧市街の時計台 旧市街の観光は後回しで、バスに乗ってゼーグルーベ展望台の駅にむかった。ケーブルカーとロープウエーを乗り継いで、標高1,905メートルまで登る。ケーブルカー、ロープウエーともに、85年も前に開通したものだという。9時10分に駅に着いたが、人影はまばらで、停まっていたケーブルカーもがらがらだった。しかし、いつまで経っても発車せず、約30分ほど待たされる間、観光客がどんどん乗り込んできて、出発した頃には通勤電車なみの混み具合だった。天気も良い日曜で、みんな観光に来ているようだった。

イン川が流れるインスブルックの市内が一望できる展望台

ゼーグルーベに上がるロープウエー  途中の駅でリュックを担いだ人たちが、満員の車内にさらにどやどやと乗り込んできた。自転車をかついで乗ろうとした女性もいたが、さすがにあきらめらた。頂上までロープウエーで行き、マウンテンバイクで降りてくる人も多いらしい。
歩いて登る道もあるそうだが、チロリアンたちは、人の歩いた道を歩きたがらず、木々の間を平気で入っていったりするそうだ。

ゼーグルーベ展望台にて   ケーブルカーは10分ほどで標高860メートルのハンガーブルグの駅に到着した。ここから先はロープウエーに乗り換えて、ゼーグルーベ展望台まで一気に駆け上る。天気はうす曇りだったが、展望台では、アルプスの山々やインスブルック市内を一望できた。これから行く旧市街もよく見えた。さすがに気温は低く、ジャンパーを羽織った。ここまで来るロープウエーも混雑していて、オーストリアの人たちはおしゃべり好きらしく、ゴンドラの中は話し声でうるさかった。

ゼーグルーベの案内地図  ゼーグルーベ展望台からさらに上に行くロープウエーがあって、案内図では標高2,256メートルの”Hafelekar”という最終到着点まで行かれるようになっていた。85年前にこれらの道を切り開いたことに驚かされる。”Hafelekar”をなんと読むのかわからず、降りてきてから、今日の運転手をつとめていたルイスさんに聞くと、「ハーフェリカー」と発音してくれた。

 ゼーグルーベでの展望をそそくさと済ませて、同じ道筋を降りてくる。降りは登りよりも人は少なく、遠くのアルプスの山並みなどをゆったりと楽しむことができた。ケーブルカーに乗り込むと、先にオーストリア人の老夫婦が座っていて、妻は笑顔であいさつして、2人の隣に座った。とても仲の良さそうな夫婦は、途中の駅で降りてしまったが、歩いて麓まで行くのだろうか。

チロル料理を味わい、王宮から聖ヤーコブ教会をまわる

王宮の前で  10時45分にケーブルカーが駅に到着する。頂上は寒いくらいだったが、下まで降りてくるとたちまち暑くなった。ふたたびバスに乗って、旧市街まで移動する。はじめに王宮を見学する。1460年頃に建てられた城を、マクシミリアン1世が拡張、その後、マリアテレジアによって改築された。午前中に王宮の中を見学する予定だったが、午前中に地元のラジオ局がイベントをやっているそうで、予定を変えて、少し早いが昼食のレストランに行くことにする。11時30分にレストランに到着したときは、私たちのグループ以外には客は誰もいなかったが、正午近くになると、地元の人たちや観光客の団体がぞくぞくと入ってきた。

豚肉の上に目玉焼き  料理は、サラダとともに、目玉焼きがのった豚肉、つけあわせのポテトとが出てきた。ポテトはかなり量が多かったので少し残した。デザートもたっぷりと皿に盛られていた。食事をしていると、地元の男性がどこから来たのかと訊ねるので、東京だと答えると、さっそく「オリンピック!」と返ってきた。約1時間の昼食の後、ふたたび王宮にむかう。「巨人の間」では、OREというラジオ局がトークショーをやっていた。

王宮の正面で  「巨人の間」には、かつてはヘラクレスの絵がずらりと飾られていたので、そう命名されたそうだ。ところが、マリアテレジアの結婚披露宴をここで執り行うこととなり、その場の雰囲気には似つかわしくないヘラクレスの絵はすべて撤去された。その後、マリーアントワネットをはじめ、16人もいたマリアテレジアの子どもたちの絵が飾られるようになったという。マリーアントワネットの絵には、「アントニオ」と記されていた。トークショーのおかげで、一つ一つの絵をゆっくりとながめることはできず、王宮の中庭を突き抜けて、聖ヤーコプ教会に行く。

タイミング良く「黄金の小屋根」のテラスで楽団が演奏

ヤーコプ教会のピエタ像 教会の大きな扉を開けると、パイプオルガンの音楽に迎えられた。死んだキリストを抱きかかえるマリアを描いた「ピエタ像」があり、祭壇の中心には生まれたばかりのキリストを抱いたマリアの絵が飾られていた。人影がまばらな教会の中は、神聖な雰囲気がただよっていた。教会の正面にある3つある窓のうち、両側の2つは「だまし絵」なのだ。確かめてみると、教会の内側には窓はなかった。でも、どう見ても、それが「だまし絵」とはわからないほど精巧に描かれていた。

黄金の小屋根のテラスで楽団が演奏  旧市街の象徴ともなっている「黄金の小屋根」に行くと、テラスでは、ちょうど地元の楽団が演奏していた。若干の自由時間がとられ、スワロフスキーの大きな店を少しだけのぞいてみたが、小さなネックレスでも日本円で1、2万円しており、私には、「ガラス細工」がそんなにすることが理解できなかった。
結局、妻もスワロフスキーは見ただけで、絵はがきなどを買って、集合場所にもどってきた。王宮近くに停めてあったバスに乗り込み、14時前にインスブルックを後にした。

美しいアルプバッハのホテル バスはアウトバーンを走り、約1時間でアルプバッハという村に着いた。「オーストリアでもっとも美しい村」「ヨーロッパでもっとも花が美しい村」などと呼ばれているそうで、民宿のようなホテルには、どこのテラスや窓も花できれいに飾ってあった。さっそく妻は、絵手紙の筆を走らせていた。

 店はたくさんあったが、日曜日なのでどこも閉店していた。昔は土曜日も閉めていたそうだ。日曜は、キリスト教の安息日として働いてはいけない日になっていた。ただし、みやげ物屋だけは例外として開店を認めているそうだ。その代わり、店員には平日の2倍の賃金を払わなければならないらしい。

「メロン」と「ウォーターメロン(すいか)」を取り違えたレストラン

花が美しいアルプバッハの街   15時半にアルプバッハを出て、ふたたびアウトバーンを今日の宿泊場所であるザルツブルクにむけて走る。両側には田園風景がひろがり、広大な牧草地には牛が放牧されていた。切り立った山がせまり、山のふもとの斜面には小さな家が建っていた。車中、添乗員の川島さんはいろいろとオーストリアの話をしてくれたが、単調な風景が眠りを誘い、目が覚めたときはすでにバスはザルツブルクの街に入っていた。

 18時にラディソンBLUホテルに到着した。ここには2泊することになっている。部屋で一服して、19時からホテル内のレストランで夕食をとる。前菜はメロンとスモークハムの予定だったが、出てきたのはメロンならぬウォーターメロン(スイカ)だった。赤い色をしていたので、すぐにスイカではないかと気づき、川島さんはさっそく店にクレームをつけた。

ザルツブルクのホテルの夕食

 担当の男性は、「申し訳なかったが、今日はメロンが入荷できないので、ウォーターメロンにした」と説明した。しかし、川島さんが、スイカにハムはあり得ないだろうと食い下がると、男性店員は「私もそう思う」とあっさらりとみずからの非を認めた。その結果、ペナルティとしてビーフコンソメとシャンペンが1杯ずつ全員にふるまわれた。川島さんも、シャンペンまでは想定していなかったそうだ。

シャンペンだけでは物足りないので、オーストリアビールを1杯たのんだ。妻は赤ワインをたのんだが、一口くらいしか飲めず、サービスのシャンペンとともに私に回ってきた。ビールと赤ワイン、それにシャンペン2杯を飲むとけっこう酔っぱらった。

ホテルのメインディッシュ  レストランでは、大阪のルックJTBで関西方面から来た団体客がすでににぎやかに盛り上がっていた。ずいぶん早く来たのか、私たちが来てから30分後くらいに帰って行った。10人くらいの小グループで、あちらには男性が2人いた。メインの料理には、ポークチャップに野菜の付け合わせが出てきて、デザートにはフルーツとアイスクリームがついた。

 大きなレストランだったが、客は最後まで私たちのグループだけで、静かな夕食となった。部屋に9時頃に帰り、風呂をでるとすぐにベッドに入り、アルコールも効いて眠ってしまった。

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