9月12日 ウイーン市内観光

ウイーン市内を自由行動、夜は王宮オーケストラを聴く

 大急ぎの見学を終え、12時にベルヴェデーレ宮殿を出たときは、気温は25度近くになっていて、暑いくらいだった。

シュテファン大聖堂の回りは銀座のようなにぎわい

ウィーン市内の風景 ガイド付きの市内観光は午前中だけなので、残りの時間は、リンクと呼ばれる旧市街を囲む環状道路をバスで一回りし、車内から数々の中世の建物を見学した。

 12時40分に解散となり、午後からは自由行動となる。栗田氏の案内で市内をめぐるオプショナルツアーに出かける人たちもいたが、私たちはオプショナルでは行かない美術史博物館を見学したかったので、それには参加しなかった。

コンサートのチケットを売る人たち 解散後、シュテファン大聖堂の近くまで歩いて行く。大通りは銀座のようににぎやかで、イタリアやフランスの高級ブランド品の店も目立った。
 スワロフスキーも大きな店を構えており、ショーウインドウの巨大なクリスタルの人形が目を引いた。

 シュテファン大聖堂の前では、えんじ色のガウンの男性が数多くいて、オペラ座などの音楽会の当日券を道行く人に売りつけていた。中にはかつらをかぶってモーツァルトの格好をした男性もいた。

 大聖堂を通り越して、近くにあるカフェに入って昼食を食べることにする。メニューを渡され、店員に説明もしてもらったが、よくわからなかったので、とにかくパスタらしい料理を頼んでみた。出てきたパスタはとてもおいしく、妻の頼んだ料理には、あとからデザートまでついていた。

大聖堂の尖塔のてっぺんからウィーン市内を見下ろす

シュテファン大聖堂 腹ごしらえができたので、まずはシュテファン大聖堂を見学する。高い尖塔を持つゴシック様式の大聖堂はウィーンのシンボルでもあり、2001年にはウィーン歴史地区をふくめてユネスコの世界遺産に登録されている。ハプスブルク家の墓所であり、モーツァルトの結婚式もこの寺院で執り行われた。

 シュテファン大聖堂のシンボルとなる南塔の高さは107メートルで、寺院では世界で3番目の高さを誇る。13世紀の終わりから65年をかけて、14世紀半ばに塔が完成した。南塔と同じ高さで建てられる予定だった北塔は、財政難であえなく建設途中で頓挫してしまった。

シュテファン大聖堂北塔からの風景 その代わり、北塔にはエレベーターが取り付けられ、展望台まで上がることができる。私たちも、5ユーロを払ってさっそく北塔に登ってみた。上まで行くとウィーンの市内が一望でき、急傾斜の屋根に瓦で描かれたモザイク模様を目と鼻の先で見ることができた。

 塔にはプンメリンと呼ばれる巨大な鐘が吊るされていて、その前で若いカップルが自画撮りしていたので、「撮ってあげようか?」と英語で声をかけると、すごく喜んでカメラを差し出した。

世界的な名画が数えきれないほど飾られていることにビックリ

絵画芸術(フェルメール) 旧市街地を散策し、ペスト記念柱のあたりからヨーゼフ広場に足を運び、夜に予約している王宮オーケストラによる音楽会の場所を下見しておいた。その後、お目当ての美術史博物館に入ると、数々の名画がひしめき合うようにして展示され、その規模の大きさに驚いた。
 たとえば、フェルメールの「絵画芸術」、ラファエロの「牧場の聖母」、ブリューゲルの「農民の婚礼」「バベルの塔」「謝肉祭と四旬節の喧嘩」「ベツレヘムの嬰児虐殺」、ベラスケス の「青いドレスのマルガリータ王女」、フランチェスコ・フランチャの「マリアとキリスト」などがさりげなく壁に掛けられている。これら1枚だけでも日本に来たら、何万人という人が駆けつけるだろう。

クリムトの壁画 大急ぎで博物館を一周りしたあと、朝からあちこちを回って足が重くなってきたこともあり、博物館のカフェで一服した。元祖ウインナーコーヒーを、オーストリアに来て初めていただいた。
 美術史博物館の階段ホールの上には、クリムトによる女性たちの絵が壁に書かれている。あやうく通りすぎてしまいそうだったが、階段の下からカメラに収め、博物館を出た。
 王宮でのコンサートの開場までまだ2時間あったので、いったんホテルに引きあげることにした。市電の停留所までの途中にある店に立ち寄り、妻が母親のためにポーチを買い、これですべての買い物は完了した。

親切な地元女性にバス代を出していただき、心から感謝

農民の婚礼 オペラ座の前からホテルに向かう市電に乗り込む。市電は現金では乗れず、切符が必要だ。運転手から切符を買おうとしたら、車内にある券売機を使うように指示される。ところが、券売機はコインしか使えず、2人分の切符代4.4ユーロの持ち合わせがなかったので困っていたら、そばに座っていた女性が切符の買い方を教えてくれた。そのうえ、なんと足りなかった20セントを出してくれたのだった。
 これには非常に恐縮し、妻はとっさに手持ちのダルマのストラップを彼女に差し上げたのだった。親切な女性は、それから2つ目の停留所で降りていったが、たいしたお礼の言葉も言えなかったのが申し訳なく、心のなかで何度も頭を下げていた。オーストリアで、見ず知らずの人にこんなに親切にされたことが心底うれしかった。

バベルの塔 ホテルの近くで市電を降りて、パン屋でサンドウィッチとオレンジジュースを買って、夕食はホテルの部屋で簡単に済ますことにした。これがオーストリア最後の晩餐となるが、昨夜のステーキのようにこのところ重いものばかりだったので、胃袋を休めるにはちょうど良かった。
 19時前に部屋を出て、ふたたび市電に乗ってオペラ座の前で降りる。今度はきちんと乗る前に駅の券売機で切符を買っておいた。しかも、乗る前に買うと10セント安くなるのだ。

美術史博物館 コンサート会場はすでに下見をしていたので、道に迷うこともなく、10分ほどで到着した。開場の15分前だったが、すでに10人ほどが列をつくっていた。中には日本人らしき女性もいた。開場の10分位になると扉が開き、カウンターで予約券を見せると、すでに私の名前が入ったチケットが2枚用意されていた。

 実は、せっかく音楽の都を訪れるのだから、コンサートを聞きたいと思い、日本を出る前にインターネットで調べて王宮オーケストラの予約をとっていたのだ。その際、イベント会社を通してネットでチケットを申し込み、クレジットカードで決済後、ただちに予約券がメールで送られてきた。それをプリントアウトして持参してきたのだが、実際に予約ができているのかどうか不安だった。
 それが、なんの問題もなく、しごくあっさりと引き換えができたので拍子抜けしてしまった。妻は、インターネットのというのはなんて便利なのだろうかと感心した。

日本人女性の美しい歌声に魅せられた王宮コンサート

 コンサート会場となる王宮の中に入る。500人ほどの椅子がならんだ会場は、観客席が左側と右側に分かれており、私たちは右側の最前列に陣取った。私たちとほぼ同時に会場に入った地元の老人会のグループは、舞台にむかって左側前列の席を占領していた。なぜ、老人会のみなさんが左側に座ったのかは後になってわかったのだが、とにかく私たちは最前列を確保したことでわくわくしていた。

王宮オーケストラと歌手 とはいえ、開演までにはまだ1時間もあった。パンフレットを見たり、ガイドブックを見たりして時間をつぶすうち、開演の8時半の15分くらい前になるころには、中国人とおぼしきにぎやかな団体客がドカドカと会場に入ってきたりして、開演間際には会場はほぼ満席になった。

 しかし、開演時間を過ぎても舞台は無人のままで、やはりオーストリア時間だなあと思っていたころ、オーケストラのメンバーが一人二人と、楽器を持って舞台の上に顔を見せ始めた。最後に、拍手にむかえられて指揮者が登壇し、タクトを振るとようやく演奏が始まった。

 恥ずかしながら、すべて曲名がわからないので紹介することはできないが、1曲目はオーケストラだけの演奏で、2曲目は男性の歌手がでてきてオペラを歌い、3曲目も別の男性が歌った。4曲目は、深い赤色のロングドレスに身を包んだ女性の歌手が美しい声を披露した。女性は日本人のようで、調べてみると、竹村嘉世さんと言って、王宮オーケストラの専属歌手をしているそうだ。

 ところで、歌手たちは全員、指揮者の右脇で歌うので、地元の老人会が左側に席を確保した理由がわかった。私たちの席からは斜めからしか歌手の顔が見えないが、老人会のみなさんは、すぐ目の前で歌を聞くことができたのだ。

最後のアンコールの演奏 その後も、ハンマーを楽器にしたコミカルな演出もあって客を飽きさせず、いかにも観光用のコンサートという感じがしたが、あっという間に1時間半の演奏が終了し、観客たちは王宮の外にどっと吐き出された。

 市電を使っても良かったが、夜も遅くなり、すぐ近くにタクシー乗り場もあったので、栗田氏が絶対に安全だとすすめてくれたタクシーでホテルまで帰ってきた。

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