9月7日 インスブルックに到着

成田空港出発~インスブルック到着

 集合時間は9時15分だったが、余裕を持って7時に我が家を出発した。夏休みも終わり、成田空港はすいていると思っていたら、日本人や外国人で国際線出発ロビーはけっこう混雑していた。

何とも心細い「男ひとりぼっち」の旅

成田空港で ツアーの受付はすでに始まっていて、何組か人が並んでいた。ここで初めて添乗員の川島さんという女性と顔を合わせる。妻はすでに電話で何度か話している。

  ルックJTBの「音楽と自然のハーモニー・オーストリア8日間」というツアーは、オーストリア国内のあちこちを訪ね、最後に首都ウィーンにもどってくる行程だ。参加者は14人で、男性は私だけだということが成田に来て初めて知った。去年のイギリス旅行は、男性3人で心細い思いをしたのだが、今回はついにひとりぼっちになってしまった。肩身が狭く、この先が案じられたが、じたばたしてもしかたない。

 オーストリア航空の飛行機は定刻の11時15分に成田を飛び立ち、約11時間半のフライトの後、定刻よりやや早く、現地時間の15時50分にウィーン国際空港に着いた。

飛行機 この日の最終目的地はインスブルックだったので、入国審査を済ませたのち、大急ぎで国内線に乗り換える。その際、セキュリティチェックがなぜかやたらと厳しく、係員からは金属探知機のゲートをくぐる前に、上着を脱いで、腕時計とベルトを外すように指示される。

それでも探知機のアラームが鳴り、お札しか入っていない財布をポケットから取り出し、靴まで脱いで調べられた。さらに体のあちこちを執拗に触られて、ようやく私がテロリストではないことが証明された。身につけていたいろいろなものを外に出したので、ゲートを離れるとき、あやうく腕時計を忘れそうになった。

チロルの美しい自然に囲まれたインスブルック空港

インスブルック空港 FOKKER70という80人乗りの小さな飛行機に乗り込むと、右が3席、左が2席になっていた。日本の新幹線のような席配置だ。途中、サンドウィッチと飲み物が出てきたが、わずか45分でインスブルック国際空港に着陸した。
滑走路のすぐ近くまで山々がせまっており、アルプスに囲まれたチロル地方にやってきたことを実感した。上空では、緑がひろがる大地に点在する村々や小さな家が見えたし、遠くには雪をかぶった山の頂も見られた。

 チロル州の州都でもあるインスブルックの地名は、「イン川の橋」という意味を持っている。64年と76年の2度にわたって冬期オリンピックが開催され、76年の大会は、スキージャンプの表彰台を独占した72年の札幌大会の次だった。

インスブルックのホテルの前で 今年のソチオリンピックでは、日本選手団は金メダル1つをふくむ8個のメダルを獲得した。高梨選手や上村選手、浅田選手など、メダルを逃したものの入賞者の数もかつてなく多かった。何よりも、10代の選手の活躍は、未来に希望が持てるものとなった。彼らがまだ生まれていなかったインスブルック大会は昔日の感がある。実は私も、とんと記憶に残っていないのだ。

空港には大型のバスが待っていて、文字通り「イン川の橋」を渡って、19時に「ヒルトン・インスブルック」に到着した。ホテルは、街の象徴とも言える凱旋門の近くにあり、ホテルの中にはカジノもある。

到着後、ロビーで簡単な打ち合わせをする。今日は夕食もないので、添乗員の川島さんがスーパーの場所などを教えてくれた。明日までの2日間、ワイン祭りが開かれていて、市内は夜遅くまでにぎやかだという。荷物の整理をした後、さっそくワイン祭りに行ってみることにした。

楽しくにぎやかなワイン祭りの人々

ワイン祭りでにぎやかな人々 旧市街地の狭い通りにはたくさんの人々が集い、客たちは自分のグラスを持って、ワインを売るスタンドを渡り歩き、1杯分のワインを買っていた。路地にはいくつものテントが張られ、中ではソーセージなども売られていた。イスとテーブルが置かれ、赤ら顔でワインだけをひたすら飲んでいる。路上ではアコーデオンやギターを弾き、大きなホルンを吹いている人たちもいた。

 にぎやかな路地を一回りしてみたが、時差ぼけに加え長旅で疲れていることもあり、ワインを飲みたい気分になれず、結局、お祭の喧噪をあとにして、スーパーマーケットに買い出しに行くことにした。旧市街から15分ほど歩いたインスブルック駅地下の「Mプライス」という川島さんに教えられたスーパーに入る。500ミリリットルのミネラルウォーターを2本とリンゴ2個を買った。合計して1.99ユーロという安さにはびっくりした。
ホテルに帰ってきても、空腹は感じず、早々と眠ってしまった。

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