9月9日 ザルツブルク観光

ザルツブルク市内観光

ザルツブルク市内全景 6時にベッドを出る。今日から1週間が始まる。私たちのツアーも、2日間のザルツブルク観光の始まりだ。ところが空模様が思わしくなく、夜中から降っていた雨は朝になってもやまず、職場や学校にむかう人たちは厚手のコートやジャンパーを着て、寒そうに傘をさして歩いていた。

「ドレミの歌」が聞こえてきそうなミラベル宮殿

 ザルツブルク州の州都となるザルツブルクの市街観光にむけて、9時にホテルをバスで出発する。最初に訪ねるミラベル宮殿近くにバスが停まると、君島さんという現地在住の女性ガイドが私たちを待っていた。幸いこの頃には雨もやみ、バッグに入れてきた折りたたみ傘を使う必要はなかった。

ミラベル宮殿の庭園  ミラベル宮殿は、大司教ヴォルフ・ディートリヒによって、17世紀初めに建てられた。1818年に火事で焼失したが、再建され、焼け残った大理石の間が一般に公開されている。宮殿全体は、市役所や図書館として使用しているので見学することはできない。

 アメリカのミュージカル映画「サウンド・オブ・ミュージック」は、1965年にザルツブルクで撮影された。ミラベル宮殿では、主演のジュリー・アンドリュースが演じるマリアが、トラップ大佐の子どもたちといっしょに、「ドレミの歌」を歌いながら庭園の中を駆け抜けるシーンが撮られた。映画が世界的にヒットしたことで、ザルツブルクも世界中に名が知れ渡った。「サウンド・オブ・ミュージック」は、今でも世界中で親しまれており、ちなみにJR東海の「そうだ、京都行こう。」のCMソングには、劇中歌「私のお気に入り」が使われている。

天使の階段  宮殿の入り口から階上の大理石の間につづく階段は「天使の階段」と呼ばれ、かわいらしい天使たちが私たちをむかえてくれた。大理石の間は一般市民でも結婚式にも使うことができ、日本人もこれまで50組ほどのカップルがここで式を挙げたそうだ。

 サウンド・オブ・ミュージックのロケに使われた庭園は、ロケがおこなわれた50年前とまったく変わりなく、子どもたちが「ドレミの歌」を歌って回った噴水や花のアーチ、花壇などがきれいに手入れされていた。芝生の上には赤やピンクの花が植えられ、広々とした庭園のむこうには、ザルツブルクの象徴でもあるホーエン・ザルツブルク城が見えた。

恋人たちが愛を確かめ合うマルカト橋をわたって旧市街へ

庭園のアーチ 商店の開いていない日曜を避けるのか、月曜にもかかわらず、庭園にはたくさんの観光客が訪れていた。日本人はもちろん、中国人や韓国人の姿も目についた。中には、手入れされている芝生に無神経に足を踏み入れ、記念写真を撮っている中国人グループもいた。どこの国に行っても、中国人はマナーが最低だ。

 ミラベル宮殿の庭園を出てマルクト広場を通り過ぎると、モーツァルトの住んでいた家に出る。外壁はピンク色をしていたが、言われなければモーツァルトが住んでいたとはわからないほど地味な建物だった。モーツァルトの家の左手には三位一体教会が建っている。近くには世界的な指揮者カラヤンの生家もあって、指揮をとるカラヤンの銅像が庭に立っていた。

すごい数の南京錠 ザルザッハ川に出ると、これから行く旧市街が一望できた。ザルツブルクの旧市街は、ウィーンのシェーンブルク宮殿と同時に、1966年にユネスコの世界遺産に登録された。川の向こうには、中心となる大聖堂をはじめ歴史的な建造物が建ち並んでいる。

 マルカト橋を渡って旧市街に入る。橋の両側のフェンスにはおびただしい数の南京錠がぶら下がっていた。恋人が二人でここに来て鍵をかけると、永遠に結ばれるのだという。ちょうど私たちが通り過ぎたときも、若いカップルが人目も気にせず熱いキスを交わしていた。

マクドナルドの看板 旧市街に入り、建物の間を通り抜けると、ゲトライデ通りに出る。ザルツブルク随一の商店街で、みやげ物から衣料品や食料品、日用品などありとあらゆる店が両側に並んでいた。スワロフスキーも店を出している。どこの店も、シンボルとなる鉄でできた看板を出している。マクドナルドもあって、「M」の文字が入った鉄看板が店先にかかっていた。

 この通りの一郭に、モーツァルトが生まれ育った家がある。先ほどの家はピンクだったが、こちらは黄色の建物だった。この一部を間借りし、1773年まで一家で住んでいた。モーツァルトは、1756年1月にこの家で生まれている。今は博物館になっており、狭い階段を上った音楽室には、モーツァルト一家4人の絵が飾られていた。左から、7歳当時のモーツァルト、「ナンメル」の愛称で呼ばれていた姉、父親、母親の順で肖像画が並んでいる。

わずか3歳でバイオリンを弾いてしまった天才モーツァルト

ゲトライデ通り  ガイドの君島さんによると、父親は教育パパだったらしく、モーツァルトを学校に通わせることなく自宅で教育し、4か国語を読み書きできるようにさせたそうだ。もちろん楽器も教えたが、天才モーツァルトは、幼少の頃から音楽に対する比類なき才能を発揮したそうで、3歳になった彼は、誰にも教わることなく、見よう見まねでバイオリンを演奏してしまったという逸話がある。
 音楽室の隣の寝室には、そのとき弾いた小さなバイオリンがショーウインドーに飾られており、その下には、LICHT(光)、LIEBE(愛)、LEBEN(命)と書かれてあった。

ザルザッハ川対岸の旧市街  尾籠な話で申し訳ないが、当時は建物の中にトイレがなく、人々はおまるを使って用を足し、排泄物はザルザッハ川まで捨てに行かなければならならず、近道をするために建物の間にパッセージと呼ばれる抜け道が作られた。
 しかし、横着な住人たちは、川まで行くことなく、汚物を道路にまき散らすこともあったようだ。そのため、街ではコレラや赤痢がしばしば大流行した。こうした衛生状態の悪さから、7人いたモーツァルト家の子どもたちも、5人が病気で死んでしまったのだった。

モーツアルトの生家 どの部屋も天井は低く、当時の平均身長は155センチほどだったので、そんなに窮屈ではなかったようだが、天井が低い理由は早く室内を暖房するためだ。部屋の隅には陶器でできたストーブが置いてあり、この中で薪を燃やしていたそうだ。モーツァルトには子どもはいたが、その後、家系は途絶え、子孫は一人も現存していないそうだ。天才のDNAが残っていたら、現代の音楽界でどんな曲を作るだろうか。それはかなわない夢だけど。

多くの赤ちゃんが死んでしまった「命がけの洗礼」

大学広場の生鮮市場 モーツァルトの家を出て、パッセージを通り抜けるとザルツブルク大学のある「大学広場」に出た。マーケットが店を出していて、野菜や果物など生鮮食料品とともに、モーツアルトチョコなどみやげ物も売っている。ザルツブルクのおみやげの定番となっているモーツァルトチョコは、大量に出回っているのはミラベル社が製造・販売しているもので、元祖は「フュルスト(Fürst)」という店がつくっている。ちなみにミラベル社のチョコは金紙で包装されているが、フュルストのは銀紙で少し安っぽく見える。

 大学広場から離れ、ザルツブルク大聖堂に行く。このあたりでは、ひときわ威厳を放っている。君島さんのガイドによれば、ザルツブルク大聖堂は、ローマのサンピエトロ寺院をモデルにしたそうだ。大聖堂に限らず、5つの広場があって、それぞれに噴水がおいてあることなど、ザルツブルク旧市街全体がローマをお手本にしていることから、かつては「北のローマ」とも呼ばれていたという。

洗礼盤をささえるライオンたち  大聖堂の入口の近くには洗礼盤が置いてあった。4匹のライオンがブロンズ製の重たそうな洗礼盤を支えている。生まれたばかりの赤ん坊が、寒い冬でも洗礼盤に投げ込まれたそうで、多くの子どもが風邪を引いて命をなくしたらしい。まさに命がけの洗礼だ。モーツァルトは、誕生した翌日にここで洗礼を受けたそうだが、幸い病気にはならなかったという。
 大聖堂のパイプオルガンは、かつてはモーツァルトも演奏したそうだ。ただし、当時のオルガンは第2次世界大戦で爆撃を受け、バロック様式の特徴である円蓋とともに破壊され、1959年に復元されている。教会にはたくさんの人が訪れていたが、みんな静かに見学している。外の喧噪と比べて、教会内がひっそりしていたことが印象的だった。

大聖堂  大聖堂にほど近い祝祭劇場(フェルゼンライトシューレ )は、「サウンド・オブ・ミュージック」のロケに使われ、トラップ大佐一家が合唱コンクールで優勝したシーンが撮影された。ここの野外劇場では、NHK交響楽団がコンサートを開いたこともある。
 高い時計台を持つザンクトペーター教会の右隣には、今日の夕食会場となる803年創立でヨーロッパ最古のレストランがある。今夜は、クラシック音楽を聴きながら、優雅にディナーを楽しむことになっている。

突然の雨をかいくぐってホーエンザルツブルク城のレストランで食事

ザンクト・ぺーター教会  教会の前を通って墓地(ペータースフリートホフ)の中に入る。「サウンド・オブ・ミュージック」では、ナチスに追われたトラップ大佐一家がこの墓地に逃げ込んだ。一家が墓の後ろに身を隠すシーンの撮影は、ハリウッドのセットでおこなわれたそうだ。
 墓地を通り抜けると、旧市街の高台にあるホーエンザルツブルク城に行くケーブルカーの駅に着く。君島さんから乗車券をもらってケーブルカーに乗ると、あっという間に城に到着した。ザルツブルクには犬を飼う人が多いらしく、城の中でも犬を連れて歩いている。ケーブルカーにも遠慮なく犬と一緒に乗り込んでくるのには閉口した。

ホーエンザルツブルク城の上から望む市内  展望台に立つと、ザルツブルクの街を一望にできた。先ほど訪れたミラベル宮殿の庭園もよく見えた。天気も良く、遠くの山々の展望も開けていた。12時半から城塞の中にあるパノラマレストランで昼食となる。

 レストランの窓外にはすばらしい景色がひろがっていたが、席についてほどなく、急に大雨が降り出した。食事の出てくるペースが遅く、食べ終わるのに2時間近くかかってしまったが、おかげでデザートが出てくる頃には雨もやみ、レストランを出るときには青空がひろがっていた。

女王様の気分を味わった馬車の市内観光

馬車のりば 食事が終わると自由行動となり、ケーブルカーで降りると、母娘でツアーに参加していた2人に声をかけて、4人で観光用の馬車に乗ることにした。約20分で旧市街を一周する馬車1台の料金が40ユーロもするので、ワリカンにすれば1人10ユーロで済む。
 すでに徒歩で回ってきた旧市街だったが、馬車からのながめは一味も二味も違っており、何よりも回りの観光客から注目を浴びるのは快感だ。妻は、「雅子さま気分ね」とご機嫌のようだった。まさに、日常生活では絶対に味わえない世界だった。

 楽しい馬車の旅もあっという間に終わり、4人で記念写真を撮り、そこでお二人と別れて、私たちはふたたびザンクトペーター教会を訪れ、飾られている多数の祭壇画を見て回った。

馬車に乗ってごきげんな二人  その後、元祖モーツァルトチョコを売っている「フュルスト」の店を訪ねる。店内はカフェになっていて、とてもおいしいチーズケーキをいただいた。隣の席ににぎやかに話をするアジア系らしい中年の女性が2人いて、英語で話しかけてみると2人とも中国人で一人はシンガポールに住んでいるそうだ。私たちが東京から来ていることを伝えると、ここでも「オリンピックおめでとう」と言われてしまった。

 帰り際、元祖のモーツァルトチョコを買った。銀紙に包まれたチョコは、1個1ユーロとミラベル社のものよりも高価だったので、わが家で食べる分だけここの店で買い求め、みなさんへのみやげには、どこの店にも大量に置いているミラベル社のチョコを買い込んだ。

モーツァルト広場の銅像  ふたたびゲトライト通りをぶらつき、あれこれとおみやげを見て回った。とても人通りが多く、日曜は商店が休みなので、やはり月曜日に買い物客が集中するのだろうか。
 妻は、インスブルックでは眺めただけのスワロフスキーのアクセサリーにやはり未練が残るのか、通りに店を構えるスワロフスキーの直営店に入った。あれこれと品物を手に取り、時間をかけて好みのひと品を選び出し、「自分へのみやげ」と言ってうれしそうに店を出てきた。

ヨーロッパ最古のレストランで優雅に管弦楽のコンサート鑑賞

 旧市街からトロリーバスに乗り、ザルツブルク中央駅の前で降りて、駅の近くにあるホテルにたどり着いた。今日は1日歩きづめだったので、足が疲れた。

コンサートの楽団  ホテルのロビーに19時に集合し、みんなそろってバスで旧市街のレストランへ出発した。ヨーロッパ最古のレストラン「シュテフツケラー・ザンクト・ペーター」で管弦楽のコンサートを聞きながら夕食をいただく。

 雰囲気を出すためか、楽団員はみんな中世の人たちのような制服を着ている。演奏のペースに合わせているようで、出てくる食事の間隔がやたらと長く、皿の上に料理がなくなると、しかたなくパンをつまみながらワインを飲んでいた。

ト音記号のチョコ&デザート  コンサートは、オペラのドン・ジョバンニや弦楽四重奏などがつづいた。男女の歌手によるオペラでは、男性と女性のやりとりがユーモラスで、会場からは笑い声もあがった。最後は皿にチョコレートでト音記号が描かれたデザートが運ばれ、演奏も終わりとなって22時半にレストランを出た。
 大聖堂をはじめ、旧市街の各所がライトアップされていて、昼間とはまた違ったおごそかな雰囲気を味わいながら、バスに乗ってホテルに帰ってきた。

←前の日          次の日→

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です