きょうは終日、フィレンツェ市内の観光となる。7時半にホテルを出発する予定だった。「イタ急」の言葉通り、きょうも朝が早い。その理由は、ルネッサンスの数々の芸術が集まる「ウフィツ美術館」の開館が8時30分で、それまでに余裕を持ってならんでおくためだった。

●「実物」の名画に圧倒される

奥に見えるのがドゥオーモの入口 朝の散歩をする暇もなく、レストランに直行する。ホテルでの朝食は、ほぼローマと同じような内容だが、残念ながらどれもローマのホテルよりも味が落ちた。とくにひどかったのが飲み物で、コーヒーは麦茶のような味がしたし、グレープフルーツジュースもひどく酸っぱくて、申し訳ないが一口飲んであとは残した。急いでいることもあって、とにかくパンを流し込んだ。

 ウフィツ美術館に到着したのは8時前だったが、予想通りすでに行列ができていた。開館時間がせまるころには、わたしたちの後ろには、観光客の長蛇の列が作られていて、早く出てきてよかったと胸をなでおろした。出足でつまづけば、きょうの予定がすべて狂ってしまうからだ。

ウフィツィ美術館の近くで 美術館には、木下さんという女性のガイドがすでに到着していた。ところで、「ウフィツ」とは、英語ではオフィスとなり、つまり事務所を意味する。実は、ルネッサンスのころ、銀行業などで巨万の富を築いたメディチ財閥の本部がここにあり、その事務所を改造したのがこの美術館なのだ。メディチ家は稼いだ金でダビンチなど才能ある画家を援助していた。3階建ての古い建物にはエレベーターもなく、ひたすら階段で上までのぼった。

 長い廊下には、ローマ時代の多数の遺跡が無造作に並べられていた。おそらく、どれもが歴史的に貴重な品々に違いない。そして、各部屋には、ルネッサンスが生みだした数々の絵画が飾られていて、ダビンチ、ミケランジェロ、ラファエロと、いままでどこかで見たことのある有名な絵や彫刻が、所狭しと展示されていた。

ヴィーナスの誕生の前で! それらのすべてに引き込まれたのは当然だが、なかでも、『ヴィーナスの誕生』の「本物」が、さりげなく壁に掛けられていたのには、思わず息をのんでしまった。もちろん、写真でしか見たことのなかったが、大きなキャンバスに描かれた絵は、一人一人の表情がはっきりとわかり、圧倒的な迫力だった。

 レオナルド・ダ・ヴィンチの兄弟子とされるボッティチェリが、この名画を描き上げたのは、1485年頃だそうだが、巨大な貝に乗った優美な女神は、今にでも話しかけてきそうにあざやかに生き生きと描かれていた。木下さんが、目を凝らすと、この絵のキャンバスに使った木の板に継ぎ目が見えることを教える。「継ぎ目があってちょっと不細工ですが、これが実物なのですから、しかたありませんね」と、自信げだったのが心に残った。

●見かけ倒し「天皇のレストラン」

 美術館を出て、サンタマリア・デル・フィオーレ教会に行く。ドゥオーモと略称で呼ばれていて、世界的に有名な『花の聖母寺』だ。入った時の印象はとても質素な作りだったが、礼拝堂の奥へすすむと現れる巨大なドームの内側に描かれた壁画は圧巻で、これには目を見張った。

 描かれているのは『最後の審判』で、バチカンのシスティナ礼拝堂のミケランジェロ作の壁画とはまた違った重厚さがあった。木下さんは、これらは聖書を読めない文盲の人々に絵を通して説教をするだけにここに描かれたものだと、いたってこともなげに解説したが、何と7年間もかけて描かれたという大作だ。

 木下さんという人はおもしろい解説をする人で、ウフィツ美術館から見えたヴェッキオ橋を説明する際に、この橋の両側には金細工を売る店がそれぞれ商売をしていて、もし、夫婦でいっしょに橋を渡ると、アクセサリーを買う、買わないで必ずもめる。だから、「ベッキオ(別居)」橋というのだとダジャレを言ってみんなを笑わせた。

フィレンツェの街角 とても1日では見学ができそうにないウフィツィ美術館を、駆け足でひとめぐりして今日の昼食のレストランがある『ホテル・ヴィラ・コーラ』にむかう。旅行会社のパンフレットでは、「昭和天皇が泊まった超高級ホテルでのランチ」がうたい文句であり、ここでの食事は「イタ休」の目玉だった。だから、ランチとは言えども、ドレスアップした女性もいたほどだ。

 ところが、この目玉はとんでもない食わせ者で、いかにも高級そうなホテルの正面玄関から入り、どこの部屋に通されるのかとホテルの案内人についていったら、あれよあれよと廊下を抜けて裏口に出てしまった。中庭にはプールがあり、数名の欧米人らしい人たちが泳いだり日光浴していた。ほどよく冷房が効いていたロビーとは違って、プールサイドは日差しに照らされて暑い。

フィレンツェの全景 そのプールサイドにいかにも安っぽい小屋がたっていて、そこがきょうの昼食会場のレストランだという。30度に近づく暑さのなかで、このホテルにバカンスで長期滞在しているらしい金持ちの欧米人たちが、それこそイタリアの休日を存分に楽しんでいる姿を目にしながら、わたしたちは冷房もなく扇風機もない、まるで海の家のような小屋で、汗まみれで出てくる料理を食べた。

 おそらく、少なくないツアー参加のみなさんが、天皇陛下が食事をしたレストランでのフルコースのランチを思い浮かべていたはずだ。高級料理とはいかないまでも、ツアーの目玉にしているのだから、それなりのぜいたくはできるのだろうとわたしも思っていた。しかし、その期待はみごとに裏切られた。ランチはまずくはなかったが、「イタ休」のパンフレットにだまされた不快な思いだけが残った。

●あこがれのヴェネチア到着!

リド島に行くフェリーで 午後からは、すでにフィレンツェを離れて、水の都ヴェネチアへむかう。世界的に有名な観光地で多くの人々が訪れるヴェネチアは、今回のツアーの中でもっとも楽しみにしていた街だった。高速道路をひたすら走り、18時に今日のホテルがあるリド島に渡るフェリー乗り場に到着する。途中、事故もあって車が渋滞し、ようやく着いたという感じだった。

 バスの運転手に聞くと、車はいつになく混んでいるという。実は、翌日からリド島で国際的に有名なヴェネチア映画祭が開かれることになっていて、時ならぬ渋滞は、その関係だろうということだった。フェリーのデッキから見る夕日に輝くヴェネチアの美しさは、映画『旅情』の1シーンそのもので、ついにはるばるヴェネチアまでやってきたのだと、胸に迫るものがあったが、しかし、フェリーは感動をしみじみ味わう間もなくリド島の港に静かに接岸した。

夕日にはえるヴェネチア 港から再びバスに乗って19時すぎにホテルに到着する。ホテルでの夕食は、アサリが入ったスパゲティボンゴレと、鮭の切り身を焼いたもので、見た目はイタリアンでも味は日本の焼き鮭と変わらない。テーブルにはなんとキッコーマンの醤油まで置いてあった。ビールと白ワインをいただきながら、リド島での夕食を楽しむ。

 リゾートホテルとあって、部屋はとびきり広かったが、床はカーペットではなくタイル張りで、風呂や洗面所など設備も安っぽかった。過酷な「イタ急」ツアーのなかで、このホテルだけが連泊となる。明朝は比較的時間に余裕があるので、ちょっとだけ夜更かししてベッドにはいった。

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