8時20分にホテルを出発するまで時間があったので、ホテル付近を散策する。ほとんど車も通らず、人の姿も見えないとても静かな街だ。たぶん、ヴェネチア映画祭が始まれば、セレブや報道関係者をはじめ全世界から人々が押しかけ、年に一度の大騒ぎになるのだろう。
●「ため息の橋」を手をつないで渡る
自動車どころか自転車さえ禁止されているヴェネチアには、大型バスなど無用であり、リドの港からは、水上タクシーに分乗して市街地へとむかう。海上からのヴェネチアの風景は美しかったが、約10分ほどであっけなくサンマルコ広場近くの港に到着する。今日は終日ヴェネチア旧市街地の観光となる。まずはじめに、ドゥカーレ宮殿を見学し、その次にサンマルコ寺院にむかう。
ヴェネチアのガイドは、早乙女さんという女性だった。それにイタリアの規則にしたがって、イタリア人の「ローカルガイド」がかならず一人付いている。ローカルガイドはとくに何をするわけでもなく、いっしょに歩くだけだ。きょうはさらに、現地の日本人スタッフも1名が随行していて、とたんににぎやかなグループになった。
ドゥカーレ宮殿から牢獄につながる橋は、「ため息の橋」と呼ばれていて、かつて死刑を宣告された囚人が、2度ともどってこられない橋をため息をつきながら渡ったことに由来するそうだ。それと、この橋にはある言い伝えがあって、夫婦が手をつないで渡ると、死んでも離れなくなるというのだ。
早乙女さんは、男性たちに「死刑よりも怖いでしょう?」と聞くので、わたしが思わず、「こわー!」と声を上げたら、ツアー一行は爆笑した。もちろん、妻とは、仲良く手をつないで渡ったが、後ろのご夫婦は、旦那さんが先に渡ってしまい、「あら、お父ちゃんどこに行ったの?」などというかん高い声が聞こえてきて、これまた大爆笑だった。
サンマルコ寺院は、金のモザイクの装飾こそ施されていたが、これまで見てきた教会とくらべて、何となく地味な印象をうけた。サンマルコ広場は、大勢の人でまるでお祭りのようにごった返していた。広場には無数のハトがいて、小さな女の子は見る間にたくさんのハトに寄ってこられ、思わす泣き出してしまった。
ヴェネチアンガラスの工場兼直売店に立ち寄り、ガラスづくりの見学とショッピングのため、やや長い自由行動の時間がとられた。わたしたちはガラス工場を抜け出して、ガイドブックで目を付けていた『ムラノ・アート・ショップ』という人形店へと大急ぎでむかった。
地図で場所の見当をつけていたので、人形の店はすぐに見つかった。小さな店の中には、所狭しとさまざまな形や大きさの人形が置いてあって、そのどれもが特徴的で、そして、少しだけ高価だ。「かわいい!」を連発して、いささか興奮気味の妻は、時間をかけて人形を選び、さんざん迷ってかわいらしい赤ん坊の人形を、姉へのみやげとあわせて2体購入した。
●国境のない街ヴェネチア
12時にふたたび集合して、昼食のレストランへむかう。楽しみにしていたイカスミのスパゲティは、オリーブオイルがたっぷりと麺にからみ、スパゲティはイカスミで芯まで真っ黒に染まっていた。食べると、自分ではわからないが、歯や舌までもが真っ黒になった。とてもおいしい。
スパゲティとあわせて、イカのリング揚げとえびの唐揚げ、それとサラダがついており、最後は、アイスクリームが出てきた。これらをビールと赤ワインでいただくと、とってもいい気分になる。
団体行動はこれで解散し、午後からは自由観光となった。狭い路地と運河が四方八方に張り巡らさているヴェネチアの移動手段は水上バスとゴンドラしかなく、あとはひたすら自分の足で路地を歩くだけだ。そしてその路地の両側に無数の土産物屋やレストラン、カフェ、魚屋や八百屋などがひしめきあっていて、イタリアの「アメ横」という雰囲気があった。
街自体は広くはなく、地図をもって歩けば、自分の行きたいところにきちんと行くことができるし、サンマルコ広場への道順をしらせる矢印がいたるところに掲げてあって、道に迷うこともない。だから、ツアーに半日もの自由時間を設けることもうなずける。ここでは、ぞろぞろ団体で歩くよりも自由に歩き回った方が楽しいのだ。
運河にかかるリアルト橋の上には、店がずらりと並んでいて、そのうちの1軒でおみやげのバッグを買った。どこに行っても、人、人、人、また、人で、街角は観光客で溢れかえっていて、歩くだけで疲れてしまう。それでも、歩いていると別世界に来たような不思議な気分になり、それが何とも心地いいのだ。人波をすり抜けていく間に、生まれた国も違う人たちとの間に不思議な一体感が生まれてくる。
そう言えば、サンマルコ広場では、写真を撮っていた欧米人の老夫婦から、シャッターを押すよう頼まれた。快く応じて一枚撮ると、こんどは自分たちが撮ってやるのでカメラをよこせと言う。何の疑いもなくカメラを渡し、サンマルコ寺院をバックにして、二人並んだ写真を撮ってもらった。ヴェネチアには国境などなく、誰でもこの街に同化してしまうのだと実感した。何度もここを訪れるリピーターが大勢いるのも納得した。
●ゴンドラで「サンタルチア」熱唱
本当は、夜まで自由行動だったのだが、ガイドの早乙女さんの提案で、希望する人には、ヴェネチア名物のゴンドラを手配してもらえることになった。当然ながら全員が手をあげたので、15時にサンマルコ広場にふたたび集合して、ゴンドラに6人ずつに分かれて乗り込む。わたしたちの舟には、もう一組の夫婦とカンツォーネの歌手、それにアコーディオン弾きが乗ってきた。「新婚夫婦」への特別サービスだという。
歌い手は、金髪のハンサムで、どこか、往路の機内で見た『タイタニック』のレオナルド・ディカプリオに似ていて、どこの舟からか、「レオナルド!」の声がかかる。彼も、まんざらではなさそうだ。披露してくれた曲は、日本でもおなじみの『サンタルチア』など数曲で、歌がない間もアコーディオンは休まずにずっと演奏を続けて雰囲気を盛り上げた。
約40分のゴンドラの旅だったが、巧みに竿を操り、家と家との間にある狭い運河をすり抜けていく技術は見事で、楽しいひとときとなった。運河をすすめば、家々の窓の外には洗濯物が干されていたり、川に流れ込む排水やそこから漂う下水臭に、ここに住む人々の暮らしを間近で感じる。街を歩いていただけではわからなかった、水の都ヴェネチアの違った一面だ。路地にはあんなに人が溢れていたのに、こうして裏に回ると、あたりはひっそりとしていた。
さて、レオナルドとはお別れして、ふたたび自由行動となり、標識を確かめながらサンマルコ広場に戻ってきた。広場には、オープンカフェの店がたくさん出ていて、この場所で『旅情』のキャサリン・ヘップバーンを真似るのが夢だったという妻に誘われて、わたしたちは、椅子に座ってカプチーノを味わった。カフェでしばし休憩し、入口で8千リラを払って、サンマルコ寺院の鐘楼へエレベーターで上がった。
高い鐘楼からのながめは最高で、ふたりそろって思わず感嘆の声が出る。市街地の赤茶けたレンガは、古い街の歴史を物語っていたし、上からながめるサンマルコ寺院も、またすばらしかった。妻はその風景を絵手紙にして残そうと、一生懸命に絵筆をふるった。
●スピード違反の水上タクシー
しばし、景色にうっとりとしたあと、またエレベーターで下に降りて、今度は、「ヴァポレット」と呼ばれる水上バスに乗って、リアルト橋まで行く。歩いても行けるのだが、何ごとも経験である。船着き場で待っていると、目当ての船が来る。入口のゲートが開くやいなや、人波に押されて水上バスに乗り込んだ。
船上は、たくさんの人々でひしめき合っている。クルージングのように、船の座席でゆっくりと景色を楽しめると想像していたのだが、座るところなどない。途中の船着き場からさらに人が乗ってきて、まさに押し合いへし合いの満員電車のようになった。
リアルト橋までの予定が、途中でサンタマリア・デラ・サルーテ教会が見えたので、思わず途中下船する。教会の中をひととおり見学した後、ふたたび水上バスに乗り込み、リアルト橋の一つ手前の船着き場で降りる。サンポロ広場で買い物しながら、夕食のレストランを探すことにした。
サンポロ広場のすぐ近くでテントを張っている店のメニューを見て、手頃そうなので入る。ワインが付いて約2万リラというコース料理を2人分注文する。ビールとワインを追加で注文したが、それでもあわせて6万リラもしなかった。飛び込んだにしては、なかなかいい店に入ることができたと2人とも満足する。
アルコールがほどよく効いて、ほろ酔い気分でサンマルコ広場の集合場所にむかう。約束の8時30分まではまだ5分ほど時間はあったが、すでにほとんどの人が集まっていた。来るときと同様に水上タクシーでリドへむかった。水上タクシーの中では、一日の思い出話に花が咲いたが、突然、それまでビュンビュンと飛ばしていた船が急停止した。なんと、警察の「水上パトカー」に、スピード違反で停止を命じられたらしい。日本ではとても理解できないハプニングはあったが、無事にリドの港に到着した。
いったい今日は、何人の人と会っただろうか、そして、何カ国の人の顔を見たのだろうか。ホテルに帰ってからも、興奮はいつまでも冷めなかったが、歩き回った疲れとワインの酔いも手伝って、ベッドに入ると、すぐに眠り込んでしまった。

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